「ファンタジー」と「ビジョン」とは、正反対の性質を持つ心理ですが、その違いはなかなか自分で判別することは難しいことがあります。
それを区別しようとするよりも、まずは「動いてみる」ことが大切なようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.ファンタジーや夢を追いかけていると、真のコミュニケーションが妨げられる
空想の世界にあこがれているとき、あなたの内側には何らかの欲求が隠れています。
でもその欲求を直視するかわりに、自分に滋養を与え、興奮をもたらし、心地よくしてくれるものを頭のなかで思い描くのです。
ところが、こういうものすべてが、実際はパートナーとのあいだに壁をつくってしまいます。
ファンタジーや夢があなたを本当に満足させることはありません。
それは実際の人生に足りないものを空想でうめあわせようとしているだけなので、現状を維持させようとし、あなたの変化や成長をひきとめてしまいます。
いってみれば、自分を安心させるために現実にはないものを空想することですが、じつは本当の安心とは前に進むことによって得られるものなのです。
自分の欲求を口に出し、その欲求をつきぬけて与えることによってのみ、状況を変化させることができるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.279
2.「ファンタジー」の心理
今日のテーマは、「ファンタジー」でしょうか。
心理学においては、「ビジョン」と区別される、その心理について考えてみます。
「ファンタジー」と「ビジョン」の違い
「ファンタジー」という言葉を聞くと、昔よく遊んでいた、某有名RPGソフトのタイトルを思い出す私です笑
「ファンタジー」から受ける語感は、それほど悪いものではない気がします。
けれども、今日の引用文のタイトルでは、「夢」と並列されて、あまりポジティブではない印象を受けます。
「夢」も同じで、普段はとても大切なものとされますが、ここでの定義は、そうではないようです。
心理学においては、「ファンタジー」とは、「ヴィジョン」と対になる概念です。
あこれがれている世界や、なりたい自分、そういったものが、あったとして。
その「目指しているもの」と「いまの自分」が、つながっている状態を、「ヴィジョン」とよびます。
その反対に、つながっていない状態だと、「ファンタジー」になります。
そのため「ファンタジー」には、このような性質があります。
- 空想や夢物語の域を出ない
- 自己満足にとどまってしまう
- 目指しているものにはなれない/手に入らないという諦めがある
- 自分で自分を慰める、マスターベーションをしている状態
- それを思い描くことで、かえって絶望感を抱いてしまう
…などといった性質です。
誰しも一度や二度は、「ファンタジー」を抱いたことがあるのではないでしょうか。
こうした「ファンタジー」とは、「いまの自分」への否定がベースになっているのが特徴です。
一方で、「ビジョン」はその反対です。
「いまの自分」を受容し、肯定した上で、これからなりたいものを思い描いている状態。
その二点の間に、しっかりとした線が引けている状態といえます。
「ビジョン」は、それ自体が私たちに希望や勇気を与え、それを抱いていること自体に、幸福感や満足感を覚えるものです。
言葉で説明するのは簡単だが、実際に判別するのは難しい
「ファンタジー」か、「ビジョン」か。
その違いは、言葉で説明するのは、簡単です。
しかし、自分の思い描いているものが、そのどちらかを判別するのは、難しいのが実際のところです。
カウンセリングなどで、他者目線を入れながらならまだしも、自分自身だけではなかなか判断しづらいものです。
だって、上の説明を読んだだけで理解して判別できるなら、誰も「ファンタジー」なんか、選ばないでしょう。
けれど実際は、そうではないわけです。
気づけば「ファンタジー」に取り込まれていたり、そんなことはよくあるものです。
「ビジョン」か、それとも「ファンタジー」か。
それは、「愛」なのか、「怖れ」なのかを見極めるのが、とても難しいことと似ているのかもしれません。
「愛」と「怖れ」もまた、一見しただけでは、判別しづらいものです。
だから、「ファンタジー」を抱いてはいけない、と考えるよりは、「自分がいま描いているものは、どちらに近いだろう?」と問いかける方が、いいのでしょう。
3.走ることで安定する
判別できないなら、やってみるしかない
「ビジョン」なのか、「ファンタジー」なのか。
それは、なかなか一見しただけでは判別できない。
そうであるばなら、自分の思い描いているものが、「ビジョンなのか?ファンタジーなのか?」と悩んだり、
「ビジョンならOK、ファンタジーならNG」と判断をすることも、あまり意味のあることではないのかもしれません。
判別するのが難しいならば、結局のところ、やってみるしかない。
動いてみるしかない、ということになります。
思い描いているものが、「ファンタジー」に近いならば。
動こうとすると、ものすごくしんどさや辛さ、重さを感じたりします。
動けたとしても、充実した感じがなく、空しさや寂しさがあふれてきたりします。
そして、動いた結果にすごくとらわれて、自分の評価を下げたり、もっと腰が重くなったりします。
その逆に、思い描いているものが、「ビジョン」であるならば。
はじめは、抵抗があったりするかもしれません。
ものすごく、怖く感じたり、するかもしれません。
しかし、一歩踏み出してみると、するすると状況が動いたり、周りの助けが入ったりする。
とても頑張って疲れるんだけれども、いまを生きている充実感が胸を満たしたりする。
その動いた感触で、「ファンタジーなのか、ビジョンなのか」を自問していけばいいのでしょう。
繰り返しになりますが、「ファンタジーは悪いもの、ビジョンはいいもの」と言いたいわけではありません。
そのどちらも、抱くことがあるのが、私たちです。
だから、動きながら、「こっちはスムーズに動くから、自分のビジョンなのかな」、「やっぱり気が重いし、なんか違う気がするから、ファンタジーだったのかな」と、
その都度その都度、自分自身と対話をしながら、修正していけばいいのだと思います。
もちろん、他者目線を入れる、という意味では、カウンセリングを使うのも、とても有効な方法です。
動くと安定するという、大いなるパラドックス
この「動いてみる」、「やってみる」ということの重要性が、引用文でも語られています。
いってみれば、自分を安心させるために現実にはないものを空想することですが、じつは本当の安心とは前に進むことによって得られるものなのです。
人は、安定性、あるいは恒常性といったものを好みます。
変化をしないことの方を好みますし、安心するわけです。
これは、いろんなところで言われていることですよね。
けれども、実際はその逆が、真実のようです。
すなわち、動いている方が、安心することができる。
引用文の「本当の安心とは、前に進むことに得られるもの」とは、よく言ったものだと思います。
それは、自転車やバイクと、似ているのかもしれません。
止まっていたり、ほとんど動いていない自転車は、ふらふらします。
力を入れて支えたりしないと、倒れてしまいます。
けれども、一定のスピード以上で動いていると、その動いている状態で安定します。
これは、自転車に乗れる方ならば、理解していただける感覚なのではないでしょうか。
「ビジョン」と、「ファンタジー」。
それぞれの心理と性質を知った上で、まずは動くこと、動いてみることが、大切なようです。
今日は、「ファンタジー」と「ビジョン」の心理について、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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