大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分を許し続けるほどに、大切な人に許可を出すことができる。

「許可」を出すこととは、その人の存在そのものに価値を見ることです。

それは、自分自身に対してそのような視線を持つことで、初めて与えられるものでもあります。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.許可することは、パートナーと、あなたの周囲の人々を祝福する

許可を与えることは、リーダーシップの行為です。

それは、ひとつの自然な権威がある場所です。

人格を超越して、自分を制限することから変化して、自発性と敏感に反応する力を見つけることで、そこに到達するのです。

誰かとの関わりがはじまるときに、わたしたちには、もうすでに自分に許可を与えている、才能の分野があるのです。

そこで、パートナーが葛藤しているときに、この分野で受けとることを自然に許可してあげることができるのです。

真実と、成長によって、私たちのものになった権威によってそれをします。

援助を与えて、理解と意識の新しい場所に彼らを招くことができます。

許可を与えることは、がんじがらめに自分をしばってしまった人を、自由にしげあげる最も簡単な方法のひとつです。

それはパートナーやあなたの周囲の人々が、リーダーシップに到達した分野を祝福しています。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.430

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2.許可を与える、ということ

今日のテーマは、「許可を与える」ことでしょうか。

「それでいいんだよ」と伝えることは、相手に安心感を与え、そしてつながりをつくることができます。

許可すること、許すこと

「許可を与える」と聞くと、少し堅苦しい感じがしますね。

聞きようによっては、上から目線で見られているように感じてしまうかもしれません笑

今日のテーマは、そのようなものではありません。

パートナーや、自分の周りの大切な人を、愛する行為の一つです。

しかし「許可」と聞くと、どこか「行動」レベルでのそれをイメージしてしまいがちです。

「〇〇してもいいよ」という許可の種類ですね。

「ここでは、走り回ってもいいよ」

「300円まで、お菓子を買ってもいいよ」

…などなど、「許可」と聞くと、そのニュアンスはどこか「行動」を許す、といったことをイメージしがちです。

けれども、今日のテーマでいうところの「許可」は、そうではありません。

(もちろん、最終的には「大丈夫だよ」「してもいいよ」という許可につながることもありますが)

今日のテーマでいうところの「許可」とは、「その人が、その人自身でいること」を許すというほどの意味になります。

それは、いまのその人を、そのままでいることを許すことです。

どんな状態であっても、どんなにその人が自己否定にまみれていても、どんなに傷ついていても、その人そのものが持っている光を、見失わないでいること。

また、その人のなかにかけがえのない価値や魅力を、認めることです。

そして、その光を受け取ってもいい、と許すことです。

今日のテーマでいうところの「許可」とは、そういった意味なのでしょう。

許可することと、相手がそうすることは、まったく別の話

そうした意味での「許可」。

それは、押しつけとはまったく遠いところにあります。

「許可」をしたからといって、相手がそうることを強要することはありません。

ただただ、「ここに道がある」と示すだけ、そんな感じに近いのかもしれません。

「運転免許証」を持っていても、車を運転する/しないは、別にその人の自由です。

運転してもいいし、しなくてもいい。

運転を強要されることもない。

「許可」とは、そうしたイメージです。

これが、「許可したんだから、やりなさいよ」とか、「伝えたんだから、受けとりなさいよ」とかになると、「コントロール」の心理が入ってきてしまいます。

あくまで、「許可」をするだけ。

その人の葛藤を尊重した上で、ただただ「許可」を出し続ける。

「許可」をすることと、相手が実際にそうするかどうかは、まったく別の話といえます。

これを一緒にすると、関係性がややこしくなるのは、ご想像の通りです笑

それはある意味で、静かに見守るという愛し方と、近しいのかもしれません。

3.自分を許した分だけ、リーダーシップを取ることができる

「許可」を出すことの難しさ

とはいえ、「許可」を与えることは、その相手にとって大きな恩恵であることもまた、真実です。

許可を与えることは、がんじがらめに自分をしばってしまった人を、自由にしげあげる最も簡単な方法のひとつです。

「それでいいんだよ」

「あなたは、そのままでいい」

自分の存在そのものを許可してくれる人がいることは、その人が生きる上で最も根源的な力を与えてくれるものです。

これは、能力(=何かができること)を認められる許可とは、まったく異なります。

「〇〇ができて、すごい」

という種類の許可は、容易に

「〇〇ができない私は、価値がない」

に反転します。

「能力」ではなく、「存在」そのものを認めることが、今日のテーマでいうところの「許可」です。

「あなたは、それでいいんだよ」

その言葉を、コピーすることはできます。

その言葉を、いますぐ誰かに伝えることもできるでしょう。

けれども、そこに「許可」が宿るかというと、決してそうではありません。

どれだけの愛を、そこに込めることができるかどうか。

どこまで真摯に、その人と向き合えるかどうか。

それによって、同じ言葉でも持つ意味がまったく変わってきます。

「許可」の難しさは、そんなところにあります。

自分を許した分しか、相手と向き合えない

人は結局のところ、自分を許した分だけしか、周りの人に「許可」を与えることができません。

相手の存在に、どこまで「許可」を出すことができるか。

相手を、どこまで愛することができるのか。

それは、自分をどこまで許したか、その深さによってきます。

自分に対しての許可を、周りの人に「投影」するわけです。

だから、自分を許し続けましょう。

何かができたとか、何かをこなしたとか、そういったことで自分を認めることも大切ですが、自分の存在自体に、価値を見ましょう。

何をしていても、いいんです。

どんな自分でも、いいんです。

自分自身を、許し続けること。

あるいは、許すことのできない自分をも、許し続けること。

それを、続けていきましょう。

そうすることが、周りの大切な人に、「いいんだよ」と許可を与えるためには大切なようです。

あなたがあなたでいること。

どうか、それを認めて、許してあげてください。

 

今日は「許可」というテーマで、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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