大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

隠してしまった自分の要素を、周りに映し出す「シャドウ」の心理。

私たちは、嫌って隠してしまった自分の一部を、周りに映し出します。

大嫌いな人、苦手な人は、実はその隠してしまった自分の一部を持っているようです。

「シャドウ」とは、生きられなかったもう一人の自分を、見せてくれるようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「いちばんきらな人」は、あなたの人生をはばんでいるものを見せてくれる

あなたがもっとも好きになれない人を「影(シャドウ)」の人といいます。

あなたの「影」の部分、つまりあなたが隠していたり抑圧しているところを体現しているのです。

嫌悪感を超えてそのむこう側を見てみましょう。

そうした人たちがあなたの人生にあらわれるのは、あなたの進歩を抑えつけている目に見えない障害やじこひていに気づかせてくれるためのものなのです。

 

一生懸命努力しているにもかかわらず、少しも前に進めないという経験はありませんか。

自分自身に関するさまざまな観念や、自分のきらいなところを内面の奥深くにうめこんで、それをほかの人に投影していると、それは目に見えない壁となって立ちはだかり、あなたの行く手をはばんでしまいます。

「影(シャドウ)」の人物と対決したり、自分が耐えられないような性質をパートナーに投影しているときは、気づいてください。

その性質が見えない碇となってあなたをしばり、前に進ませないようにしているのです。

それはあなたが自分を裁き、自己否定と自己嫌悪におちいっているところなのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.181

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2.生きられなかった、もう一人の自分

今日のテーマは、「シャドウ」です。

「いちばん嫌いな人」は、大切なことを教えてくれるようです。

抑圧してしまった自分の一部を、外に映し出す

私たちは、いろんな経験をする中で、自分の中のある部分を抑圧します。

それは、両親との関係、あるいは友人や恋人との関係の中で起こる、傷ついた経験が原因である場合が多いようです。

何でも思ったことを素直に言える性格だったのに、「もうちょっと、おしとやかにしていなさい!」と親から怒られてきた。

あるいは、恋愛のなかで、「あなたの、優柔不断なところがイヤだったの」と言われてフラれたり。

そうした経験をすると、「自分の意見を素直に言う私」、「ゆっくりものごとを考えたい僕」を、自分自身が嫌うようになります。

この私を出したら、嫌われてしまう。

だから、出さないように、出さないように、自分の奥底に隠していくわけです。

なんだか、切ないですよね…

さて、そうして「抑圧した私の要素」は、決してなくなるわけではありません。

これは、昨日の記事のテーマの「感情」と、同じですよね。

抑圧しても、抑えつけても、なくなるわけではない。

では、それはどこに現れるか。

「抑圧した大嫌いな私の要素」を、周りの人に映し出すわけです

先の例で言えば、「なんでもズケズケと自分の意見を言う人」に強い嫌悪感を感じるようになりますし、「なかなか決めない人」を見ると無性に腹が立ったりするわけです。

自分のなかにあるものを、外の世界に映し出すことを「投影」といいますが、抑圧した大嫌いな私もまた、外の世界に映し出されるわけです。

あの、大嫌いなあの人。

絶対にゆるせない、不倶戴天のアイツ。

その人たちは、実は抑圧してしまった私たち自身の一部なわけです。

これを、「影(シャドウ)」とよびます。

はい、イヤですねぇ…ほんと笑

生きられなかった、もう一人の私

さて、そのように見ていくと、その大嫌いなアイツは、少し違って見えてきます。

彼ら/彼女らは、「生きられなかった、もう一人の私」なわけです。

ほんとうは、自由に堂々と、自分の思っていることを話したい私。

何でも、ゆっくりと、落ち着いてものごとを決めていきたい僕。

そうした自分では、生きられなかった。

愛されるために、嫌われないために、泣く泣く心の奥底に、押しやってきたわけです。

暗く寂しいところで、決して外に出てはならない!と、閉じ込められてきた。

なんだか、こう書くと、そのように隠して抑圧した自分が、健気に見えてきませんか?

そうはいっても、嫌いな人は嫌い!ですよね、ほんと笑

ただ、「何を嫌っているか?」という見方は、私たちを楽にしてくれます。

「シャドウ」のような、大嫌いな人、受け入れられない人、苦手な人。

それらの人自身を、嫌っているわけでは、ないんですよね。

それらの人の中に見る、「自分の要素」を嫌っているだけなわけです。

決して、その人自体を嫌っているわけではない。

そうやって見ると、その人を嫌う罪悪感を、少し緩めることができます。

「シャドウ」とは、生きられなかったもう一人の私

それは、ずっと私の中に抑圧されてきた私です。

3.「シャドウ」との付き合い方

「シャドウ」に気づいたら

自分自身が抑圧してしまった要素を、私たちは周りの人に映し出す。

その人を「シャドウ」とよぶ。

大嫌いな人、苦手な人、受け入れられない人のことである。

しかし私たちは、「シャドウ」その人自体が、嫌いなわけではない。

その人に見る、自分自身が隠してしまった要素が、嫌いなだけである。

上に書いたこのことは、「シャドウ」との付き合い方を考える上で、非常に重要です。

その嫌いな人が「シャドウ」だと分かったとして、その人とどう付き合っていったらいいのでしょうか?

まずは、その人の中に見る要素を「自分のなかにあるものだ」と気づくことです。

この「気づく」ことが、難しいものです。

だって、誰でも嫌いな人が自分だなんて、思いたくないですもんね笑

けれど、気づくことができたら、それだけで素晴らしいことです

それだけ、自分の心と向き合っている、ということなのですから。

「シャドウ」を統合する恩恵

さて、「シャドウ」に気づくことができると、私たちの心は、少しずつその要素を取り戻していきます。

これを、「シャドウを統合する」といいます。

もちろん、すごく抵抗が起きます。

「そんなはずない!」

「そんなの、絶対にイヤ!」

…などと感じることも、よくあることだと思います。

けれども、少しずつ少しずつ、私たちの心はその要素を取り戻していきます。

隠してしまった、抑圧してしまった自分を、「これも私自身だ」と認め、受け入れることができるようになります。

そうすると、どうなるか。

すごく、肩の力を抜いて、生きられるようになるんですよね。

それまで、絶対に出してはいけない、と思っていた自分。

それを、「出しても出さなくてもいい」と選べるようになる。

自分の意見を堂々と言ってもいいし、周りの空気を読んでもいい。

即断即決で決めてもいいし、迷いに迷って、周りに聞いてもいい。

平たく言えば、自由に生きられるようになるわけです。

嫌いな人は、嫌いなままでいいんです。

けれども、「シャドウ」を「それも私」と思えるようになったら、自分自身に対して、莫大な恩恵を与えてくれるようです

もちろん、すぐにできることではありません。

あの大嫌いな人が私自身の要素を持っているだなんて、考えたくもないですよね、ほんと笑

けれども、これを読んで、自分の心と向き合っているあなたなら、きっと大丈夫です。

 

今日は「シャドウ」という、生きられなかったもう一人の自分について、お伝えしました。

もちろん「嫌いなものは嫌い」でいいんですが、そんな見方もあるんだ、と思っていただけましたら、幸いです。

今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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