大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

選択権は常に自分にあり、何を正解とするかも自分次第という意識を持つことの大切さ。

ものごとにはいろんな見方があり、いろんな選択肢があります。

どれが正解か?と考えるよりも、その選択権は常に自分にあって、何を正解とするかも自分次第という意識を持つことの方が大切です。

1.自分の前に現れるイヤな人は

昨日の記事では、自分の前にイヤな人が現れるときは、というテーマでお伝えしました。

どうして、自分の周りにはイヤな人ばかりが集まってくるのだろう? ~2つのアプローチから考えてみる - 大嵜直人のブログ

自分の周りに、イヤな人ばかり集まってくるとき。

そんなときに考えてみたい、2つの捉え方をお伝えしました。

一つは、その場所が「いまの」自分にとってふさわしいのかどうか、という視点。

イヤな人、自分にとって合わない人が現れるというのは、その場所が「いまの」自分にとって合っていない可能性があります。

「いまの」というのがポイントで、自分も周りの人も、人は日々変わりゆくものですから、それまで居心地がよかった場所であっても、変わっていきます。

特に、自分が成長したりといった変化があったときには、それが顕著になったりするものです。

その見方をするならば、イヤな人というのは、「あなたの居場所はここじゃないよ」と教えてくれる存在なのかもしれません。

もう一つの見方は、そのイヤな人を通じて、自分の内面と向き合ってみる、という見方です。

「投影」の心理から見ると、目の前に現れるイヤな人というのは、自分が抑圧してきた部分を持っている人になります。

どれだけ抑圧しても、その自分はなくならないもので、それは外の世界に映し出されるようになります。

わがままな自分を抑えてきた、隠してきた人にとっては、やけに自分のまわりにわがままな人が現れたりするわけです。

そうした存在を「シャドウ」と呼んだりもしますが、それはひとえに「生きられなかったもう一人の自分」といえます。

もしそうだとしたら、イヤな人が現れるときは、その抑圧してきた自分を受け入れ、愛するチャンスと見ることができます。

目の前の人は、もう一人の自分である、と。

「あぁ、自分のなかにも、こんなわがままな面があるんだな」

そうすると、そのイヤな人のことがそんなに気にならなくなりますし、何よりもそうした自分を抑圧しなくていい分、格段に生きやすくなります。

昨日の記事では、そんな2つの見方をご紹介しました。

2.どちらの見方をするのが正しいの?

さて、その昨日の2つの見方ですが、どちらが正しいの?と思われるかもしれません。

今日は、そのことについて、少し触れてみたいと思います。

結論から言ってしまえば、どちらも正しく、どちらを選んでもいいんです。

大切なのは、その選択権は自分自身にあり、何を正解とするかも自分自身である、ということでしょうか。

そのイヤな人を、「場所を変えなさい」というサインなんだな、ととらえて、いまの自分にふさわしい場所を探してみること。

それも、一つの選択です。

ただ、見方を変えれば、それは「単に、イヤなことから逃げているだけでは?」という見方もできますよね。

それよりも、そのイヤな人を契機に、自分の内面と向き合うことが必要なのでは?、と考えることもできます。

こういうとき、明確な判断はないんですよね。

心理学は「ああ言えばこう言う学」と言われたりしますが、それに近いかもしれません笑

でもね、「正解が一つしかない」って考えるのは、ちょっと窮屈ですよね。

それよりも、「どれも正解。自分が選んでいい」と考えた方が、ラクじゃないでしょうか。

自分の内面と向き合う気力、体力があって、それができるなら、そのイヤな人(=自分のイヤな面)を愛する、というチャレンジをしてもいいのでしょう。

あるいは、いまはそれよりも、場所を変えてみたい、と感じるならば、それをしてみればいい。

それを選ぶのは、いつも自分自身です。

そして、そこで選んだことに、正解も不正解もないんです。

ただ、その選択をした結果を、自分自身が受け止めることができれば、それ以上のことはないんじゃないでしょうか。

3.選択権は自分にあり、何を正解とするかも自分

これ、自分を受け入れること、自分を愛すること、自己肯定感とも、深くかかわってくる点です。

どの見方を選ぶのかの選択権は、常に自分自身にある。

そして、何を正解とするかは、自分で決めていい。

自分を肯定できていなかったり、自己否定があると、なかなかそう思えないものです。

だから、どれが正解か聞きたくなったり、あるいは「シャドウは受け入れないといけないから」といった、義務感のようなもので選びたくなったりします。

けれど、そうした選び方をすると、そこから得られる結果を受け入れることが、できないんですよね。

自分の望む結果が出たらいいのでしょうけれども、そうでなかったとき、特に顕著になります。

「あの人が言ったから、そうしたのに」と他責思考になってしまったり、

「そうしないといけないんだけど、できない」と自己否定を強めてしまったり。

そうしたことに、つながってしまうわけです。

だから、どの見方を採用するかという選択権は、常に自分にあると信じるのは、とても大切なことです。

自分で選んでいればこそ、望まない結果が出ても、得られるものは大きいでしょうし、なにかできないことがあったとしても、それをできるようになるためには、どうしたらいいのだろう?という風に考えることができます。

どちらを選んでもいいんです。

自分がそうだと感じた方で、いいんです。

もし、選べないようでしたら、それを選べるように自分を受け入れていく、愛していく、高めていくといった意識を持つことからはじめてはいかがでしょうか。

これ、昨日ご紹介した2つの見方だけに限った話でもないんですよね。

私たちが生きる中で出会う、あらゆる選択において、同じことが言えるのでしょう。

今日は、選択権は常に自分にあり、何を正解とするかも自分次第、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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