自分にとって、もっとも許せない「敵」に、感謝できたとき。
世界が変わります。
許し、あるいは手放しとも呼ばれる、そんなプロセスについてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.敵が存在する目的は、長いあいだうもれていたあなたの意識の一部を取り戻すこと
それは、あなたがはるか以前に失ってしまった部分です。
敵がもちだしてくる力は、いつでも癒しのために使うことができるエネルギーです。
それは意識の深い部分では、実際はあなたが自分自身に対して向けているエネルギーを反映しています。
そのエネルギーに抵抗せず、あなたのなかに入ってくるのにまかせれば、より高次の意識に飛躍することができます。
まず最初は「敵」の存在と、それが見せてくれるものに感謝することです。
相手を積極的に許し、信頼することにより、あなたのなかで分裂していた部分が完全に統合されることでしょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.220
2.「敵」は、あなたを解放する鍵を持っている
今日のテーマは、「敵」でしょうか。
自分の「敵」をどう扱うかについて、考えてみます。
「敵」とは、失われた自分自身のかけら
生きていると、ときに不倶戴天の大敵が現れるものです。
もう、見るだけで虫唾が走る相手。
その名前を聞くだけで、全身に粟が立つような相手。
7回生まれ変わっても、絶対に許せない相手。
そんなふうに感じる「敵」が、ときに現れます。
家族、お金、仕事、パートナーシップ…いろんな関係性のなかで、「敵」は現れます。
しかし、自分にとってのもっとも大きな「敵」は、自分にとってのもっとも大切な部分にあらわれます。
そして、その「敵」に感じる嫌悪感、許せない部分、こうはなりたくないと感じる部分は、実は自分自身の失われたかけらです。
自分が忌み嫌い、蛇蝎のように扱い、抑圧している部分。
それを、外の世界に映し出すわけです。
自分が強く抑圧しているだけ、その部分は外の世界に強く映し出されます。
それは、強烈な嫌悪感となってあらわれます。
しかし、実はその部分は、自分のなかの大切な一部分です。
はるか昔に、自分自身が嫌って、閉じ込めてしまった、私自身の大切なかけら。
自分にとって許せないほどの「敵」は、その大切なかけらを持っています。
誰かを嫌うとき、その刃は自分自身に向いている
はい、いやですよねぇ…考えたくもないですよねぇ…
一番大嫌いなアイツが、私自身の大切な一部分を持っているだなんて。
でもね、誰かを嫌っているとき。
一番イヤなのは、「こいつさえいなければ」と感じる、自分自身なんですよね。
私自身も、そうでした。
もう、気にしたくもないのに、常にモヤモヤと頭から離れない。
そして、思い出すたびに、悲しみ、憎しみ、やるせなさ、怒り…さまざまな、イヤな感情がわいてくる。
そんな風な感情を持ってしまう、自分自身が一番イヤでした。
誰かを嫌うとき、その刃は、自分自身に向いています。
それが、一番辛いんですよね…
3.汝の敵を愛せよ
もっとも許せない「敵」の幸せを、祈る
さて、引用文では、そんな大嫌いな「敵」に、感謝しましょう、と言っています。
まず最初は「敵」の存在と、それが見せてくれるものに感謝することです。
さらっと、書いていますね…
なんでしょうかね、この軽い感じは笑
これは、「許し、手放し」とよばれるプロセスともいえます。
普通に考えると、ありえないわけです。
だって、忌み嫌う不倶戴天の「敵」を、感謝し、許し、信頼せよ、ですと?
常識的に考えると、おかしなやつですよね。
新約聖書のマタイ伝に、「汝の敵を愛せよ」という言葉がありますが、そんなことできるのは聖人君子か、大バカ者にしか、できないのかもしれません。
でもね、バカになる、というのが、一つ
私も、バカになりました。
バカの一つ覚えのように、「〇〇さん(私の大嫌いな敵)が、幸せになりますように」と、ブツブツブツブツ、毎日唱えていた時期がありました。
ええ、吐き気がしました。毎朝毎朝。
こんなことをして、自分はバカなんじゃないか、といつも思っていました。
けれど、感謝できそうにもない相手に、感謝できたとき。
世界が変わります。
天動説から地動説に変わったくらい、すべてがひっくり返ります。
もちろん、完全に心の底から、その「敵」の幸せを祈れるなんて、なかなか生きているうちにはできないかもしれません。
けれど、一番許せない人のことを、1ミリでも、「まあ、幸せでいてくれたらいいな」と思えたら。
ほんとうに、無敵になるんですよね。
いや、無敵っていうと、スターを取ったマリオをイメージされるかもしれませんが、もっと穏やかです。
傷つかなくなる、というか。
凪いでいる、というか。
人の心って、すごいですよね、ほんと。
「この人さえいなければ」は、「この人がいてくれたからこそ」に変えることができる
いきなり、100%許そうとか、感謝しようとか、そんなことは思わなくていいんです。
ただ、そういうルートがある、というだけでも、少し違うのではないでしょうか。
そして、こう自分に問いかけてみてほしいと思います。
「もし、許せないアイツに、感謝できるとしたら、それはどんな自分だろう」
自分にとって、もっとも許せない、虫唾が走るほど嫌いな相手。
その相手に、感謝できるあなたは、どんなあなたでしょう。
自信と愛に満ちあふれ、とても穏やかに、その感謝を語るのではないでしょうか。
そう遠くない先に、そんなあなたが、きっといます。
「この人さえいなければ」
生きていく中で、そう思う人が、時にあらわれます。
けれど、いつかその人のことを、
「この人がいてくれたからこそ」
と思う日が、必ずやってきます。
どんなルートを通っても、です。
だから、大丈夫ですよ、と。
そんなことをいつもお伝えしたいと思っています。
今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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