自立的な人は、その内面に「相手を食いつくしたい」と思うほどの、超依存的な欲求をこっそりと抱えていることがあります。
その欲求があると、パートナーは距離を置きたくなるものです。
その欲求の根源と、その癒し方についてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.過去をうめるために相手を「食いつくしたい」という欲求を手放すこと
親や人生の境遇によって過去に満たされなかった欲求があると、パートナーを食いつくしてしまいたいと望む傾向があります。
それは過去の欲求をうめあわせるために、相手を生きたままのみこみたい、相手が与えてくれるならどんなものでもうばいたい、相手を圧倒し、窒息させ、その影を薄くしたい、相手と密着したいといった衝動です。
このどれをとってもパートナーはあなたに近づきたくなるどころか、逆に遠ざかるばかりです。
でも、いま過去の欲求を手放せば、あなたの人間関係には自然なバランスと率直さが生まれてくるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.194
2.「食い尽くしたい」という依存的な欲求
今日のテーマは、「自立の裏にひそむ依存」でしょうか。
超自立的な人ほど、超依存的な欲求をこっそりと抱えているものです。
自立的な人ほど、依存的な自分を隠している
心理学的な話はさておき、今日の引用文のたとえは、めちゃくちゃに秀逸だと思いませんか?
…あれ、私だけですかね笑
パートナーを「食いつくしたい」という欲求、あるいはここの部分、
相手を生きたままのみこみたい、相手が与えてくれるならどんなものでもうばいたい、相手を圧倒し、窒息させ、その影を薄くしたい、相手と密着したいといった衝動
この「食いつくしたい」とか、「その影を薄くしたい」とか、ほんと秀逸ですよね…
私自身のいろんな過去のやらかし、メンがヘラってた時期をふりかえると、「あるある!」と首がもげるほどに頷いてしまいます。
…いやいや、私だけではないはずです!笑
なんでも自分でやろうとする自立的な人ほど、この手の表現は共感いただけるように思うのですが、いかがでしょうか。
「私は誰にも頼らない!」と、ツンとすましている、超自立的な人。
「私は大丈夫」が口癖の、それでいて与えたがりの、超自立の人。
そんな自立的な人ほど、内面に超依存的な自分を隠し持っているものです。
だって、それだけ超依存的な自分がいたからこそ、深く傷ついて、超がつくほどの自立になったのですから。
あるいは、「シャドウ」の側面から見ることもできますよね。
超自立的な人は、依存を嫌います。
ある人にとって、嫌いな人というのは…
そうです。「シャドウ」とよばれる、その人が抑え込んでしまった、自分のかけらを持っているわけです。
いずれにせよ、超自立の人ほど、超依存的な面を、こっそりと抱えているものです。
食いつくしたいほどの欲求は、過去の満たされなかった欲求
超自立の人が、こっそりと抱える、超依存的な欲求。
仕事の上では、超絶バリバリの自立的な人であっても、恋愛においては超依存的になってしまう。
そんなことも、よくあるものです。
相手を食いつくしたい、相手の影を薄くしたいほどの、欲求。
個人的には、この「相手の影を薄くしたいほどの」というのが、ほんとに秀逸で…あ、すいません、どうでもいいことですね笑
いわば、依存の権化のような、その欲求。
その「食いつくしたい」ほどの欲求は、過去に満たされなかった欲求からくる、と引用文ではいいます。
依存時代に満たされなかった、その欲求。
もっと、一緒にあそんでほしかった。
もっとたくさん、抱っこしてほしかった。
ちゃんと、私のことを見て、ほめてほしかった。
もっと、笑っていてほしかった。
もっと、もっと…
誰にでも、そんな満たされない欲求があるものです。
それはまた、満たされない=愛されないという傷にもなるものです。
往々にして、私たちはそれをパートナーに満たしてもらおうとします。
しかし、なかなかそれはうまくいかないわけです。
パートナーの方も、食べられてしまうわけには、いかないですから笑
そうした欲求は、パートナーを遠ざけてしまいます。
3.パートナーを食いつくす代わりに、与えよう
まずは、その欲求が「ある」ことを認めるところから
そのような、「パートナーを食いつくしたほどの欲求」。
最後に、その欲求とどう付き合っていったらいいか?について、お伝えしたいと思います。
まずは、その欲求が「ある」ことを認めること。
はい、これが第一関門ですよね。
自立的な人ほど、依存的な自分があることを認めること自体、難しいものです。
「なんか、負けたような気がする」
「いや、なんかいや、自分だけはちがう」
「というか、絶対に、イヤ」
そんな感じがしますよね。
すごく、よくわかります笑
けれど、その依存的な自分もまた、たいせつな自分の一部であるわけです。
その満たされない自分、欲求不満の自分を、抱きしめてあげましょう。
「これも、わたし」
「そうだよね、食いつくしちゃいたいよね」
「そう思うのも、わたしだもんね」
ただただ、それだけで、食いつくしたいという欲求も、静かになることがあります。
先に書いたように、この欲求の多くは、過去の満たされない欲求からきます。
その満たされない自分を認識するだけでも、違うものです。
なかなか一人で難しい場合は、パートナーでない誰かに話を聞いてもらったり、カウンセリングを利用したりすると、気づきやすいかと思います。
満たしてもらうかわりに、与えよう
さて、そうした欲求がある、と認めることができたら。
意識を「満たされたい」から、「与えよう」という方向に向けてみます。
パートナーに満たしてもらうのではなく、ただ、与える。
食いつくしてしまいたい欲求は、過去の満たされない欲求からくる、と先に書きました。
その過去の満たされない欲求というのは、幼いころの欲求であることが多いようです。
言い換えると、「満たされない子ども」から、成熟した「おとな」へ、意識を変えるわけです。
真に自立した「おとな」は、自分で自分に与えることができます。
また、相手から受けとることができます。
超のつくほどの自立までいけたあなたなのですから、必ず与え、受けとることができるはずです。
その「おとな」の意識で、パートナーに与える。
どうしたら、与えることができるのか、考えること。
それは、相手がどうしたら喜ぶのかを考える、とてもクリエイティブなものであり、とてもワクワクすることであり、またあなたらしさを全開にしてくれるものです。
そして、とても不思議なのですが。
そうした意識で「与える」ことをしていくと、とても、満たされるのです。
食いつくしたいという欲求は、どこかへ霧散します。
そして、もっと不思議なことがあります。
あなたがそうした意識で、「与える」ことをできたとき。
その与えたものは、ずっとあなたがほしかった、無いと感じて満たされなかったものである場合が多いようです。
安心感。一体感。つながり。信頼。喜び。
陶酔感。温もり。希望。活力。愛。
いろんなものを、与えることができますよね。
ずっとほしかったものは、あなたが与えられるもの。
それは、私がこの世の奇跡の一つだと感じる真理のひとつです。
さて、ここまでお読みいただいたあなたが、与えられるものは、なんでしょうか。
今日は、「依存」から話が始まった気がするのですが、話を広げすぎてしまったようにも思います。
もう少し、まとまりよく書きたいとも思いますが、これも私なのでしょう。
今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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