何らかの「問題」が起きたとき、私たちは依存的になるものです。
そのなかで主体性を取り戻すためには、「誰が必要とした『問題』か?」という視点が大切になります。
1.「問題」が教えてくれるもの
昨日の記事では、「問題」が教えてくれるものというテーマでお伝えしました。
「問題」が教えてくれるのは、どこかで隠してしまった自分自身の本心。 - 大嵜直人のブログ
私たちが生きる中で出会う「問題」。
できればあまり出会いたくもないものですが、その「問題」が教えてくれるものがあります。
それは、どこかで奥底に追いやってしまった、自分の本音です。
そもそも、「問題」が起こるのは、本来の自分から離れてしまったため、と見ることができます。
本来、周りから愛される人なのに、自分一人でなんでもがんばろうとしたり。
本来は、自分のペースで歩く性格なのに、無理に誰かと競ったり争ったりしたり。
本来、話すことが大好きなのに、引きこもりがちになっていたり。
もちろん、それで身につけたものも、たくさんあるのでしょうし、それがゆえに周りの人に与えらえた部分も大きいのでしょう。
けれども、本来の自分からずれてしまった分だけ、起こる「問題」も大きくなります。
言い換えると、私たちが出会う「問題」とは、私たちが本来の自分に戻るために引き起こしているもの、と見ることもできます。
「問題」を通じて、私たちはどこかで隠してしまった、自分の本音に気づくものです。
「ほんとうは、こうしたい」
「問題」が起こらなければ、決して気づけなかった、その本音。
それを、「問題」は教えてくれるようです。
2.「問題」のしんどさの一つは、変化への葛藤
「問題」は、本来の自分に戻るために起きるもの。
しかし人は、変化しようとすると、葛藤が生まれるものです。
変わりたいのだけれども、もとのままがいい、という葛藤。
これ、誰もが経験されていることかと思うのです。
「問題」のしんどさの一つは、実はこの「変わろうとする自分」と「いまのままでとどまろうとする自分」のせめぎ合いだったりします。
たとえば、パートナーシップでなにか「問題」があったとして。
その解決策を、いろいろと調べるのは、誰でもやることだと思います。
けれども、そうした解決策が頭では分かっていても、なかなか心がついてこなくて、行動に結びつかなかったりします。
行動して、自分が変わることへの葛藤が、一歩踏み出すことを躊躇させます。
「なんで私の方が変わらないといけないの?」という不満も、出てくるかもしれません。
そして、何もしなければ状況は変わらないのですが、それもまた苦しいわけです。
こうした葛藤が、しんどいんですよね。
でも、そうした葛藤を感じるときに、考えてみたい問いがあります。
3.その「問題」を必要としたのは誰か?
はい、この小見出しの通りです。
まあ、こういう聞き方をするのだから、答えはおのずとでてしまうものですが笑
さきほど、「問題」とは、本来の自分に戻るために起きるもの、と書きました。
言い換えると、自分がその「問題」を必要とした、ととらえることができます。
どこかで隠してしまった、自分の本音に気づくために。
本来の自分に、戻るために。
「すべての問題は自作自演」という金言がありますが、自分がその問題を必要としたと考えてみると、少し違うものが見えてきます。
「問題」が起こると、誰もが被害者の意識になってしまうものです。
「どうして、私ばっかり」
「自分は何にも悪くないのに」
「私には、どうしようもない」
…などといった、無力感や無価値観にとらわれてしまいます。
「誰かが解決してほしい」と、依存的な態度になったりもします。
そこから抜け出すためには、「自分がその『問題』を必要とした」という見方をしていくことが必要になります。
誰のせいでもない。
自分が、この「問題」を必要とした。
自分が必要としたのだから、自分にはこの「問題」を解決していく力があるはずだ。
そう考えていくほどに、主体性を取り戻して、自分を変える葛藤を乗り越えていくことができるのです。
今日は、「問題」が起きたときに、主体性を取り戻すために有効な問いかけ、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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