ものの見方、考え方を、なかなかポジティブに捉えられないときがあります。
そんなときは、「真実は変えられる」と信じることから始めることが大切なようです。
1.「見つかると信じる」という視点
昨日の記事では、大切な存在が見つかると「信じる」というテーマでお伝えしました。
ライフワークもパートナーも、「見つかるかどうか」よりも「見つかると信じる」こと。 - 大嵜直人のブログ
ライフワークにしても、パートナーにしても、仕事にしても。
私たちは、大切な人や存在が「見つかるかどうか」を気にしてしまうものです。
「私にとってのライフワークは、見つかるのだろうか?」
「運命のパートナーに、出会えるのかな」
しかし、重要なのは「見つかるかどうか」ではなくて、「見つかると信じる」ことである、というのが昨日のテーマでした。
これは、いろんなチャレンジにしてもそうなのですが、できるかどうかを悩んでいると、私たちはなかなか行動に移すことができません。
何かができる(ように見える)人は、できる確証があって踏み出しているのではなく、踏み出してからできるようにしているものです。
その踏み出すときの怖れを支えるのは、自分への信頼であり、ひいては世界への信頼であるのでしょう。
だからこそ、ライフワークにせよ、パートナーにせよ、大切なものが見つからないときは、自分を愛でるときなのでしょう。
その延長線上に、「見つかると信じる」ことがあります。
昨日の記事では、そんな内容をお伝えしました。
2.事実と真実
どのように、世界を見るかは、百人百様です。
「どれだけ探しても、きっと自分に合うパートナーなんていない」と思うのか。
それとも、「必ずいるんだから、あとはいつ出会うかだけ」と考えるのか。
それによって、気持ちも、行動も、変わってくるのでしょう。
これは、「事実」と「真実」の関係といえます。
「事実」とは、実際に起きたできごとを指します。
「今日は、朝から雨が降っている」
「私は3か月前に恋人と別れて、それ以来パートナーはいない」
これは、「事実」なのでしょう。
一方で、「真実」はこれと少し違います。
「真実」とは、その起きたできごと、事実を自分自身がどう受け止めるか、というものです。
「朝から雨が降っている」という事実に対して、「少し肌寒いと感じる」のも、「通勤で濡れて鬱陶しい」と感じるのも、どちらも自分のなかでは「真実」です。
「パートナーがいない」という事実に対して、「これからもいないだろう」と考えるのも、「いまは自分の時間を楽しむとき」と捉えるのも、どちらも自分のなかでは「真実」です。
「事実」は一通りしかありません。
一方、「真実」はそれを見る人の数だけ、存在するといえるかもしれません。
「事実は変えられないが、真実は変えられる」とも言われます。
自分にとってポジティブな、やさしい見方である「真実」を見た方が、生きやすいのは間違いないのでしょう。
けれども、なかなかそういった見方で「真実」を捉えられないことも、あるものです。
3.見方をポジティブに変えることを「癒し」と呼ぶ
自分にとってポジティブな「真実」を見ることができないとき。
それは、何がしかの心理的な抵抗がある場合といえます。
たとえば、何度も辛い別れを経験していれば、なかなか出会いに対してポジティブにはなれないかもしれません。
あるいは、何らかの罪悪感を抱いていると、私たちはどうしても自分を責めたりする見方を採用してしまうものです。
そんななかで、ポジティブに世界を見ようとしても、難しい。
そんな場合には、「真実は変えられる」ことを、信じることから始めるのがいいのかもしれません。
起こってしまった事実は、変えることができません。
しかし、真実は、変えられる。
それこそが、私たちにとってとても大切な「真実」なのでしょう。
自分のなかの「真実」が、ポジティブに変わることを「癒し」と呼びます。
カウンセリングのなかでも、大切にしている見方の一つです。
真実は、変えられる。
そして、それは自分で選ぶことができる。
いま、ポジティブな「真実」を選べなくても、大丈夫です。
それは、変えられると信じることから、始めてみましょう。
今日は、「真実は変えられる」というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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