大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

無音の色をした空の下で、手を合わせること。

立秋を過ぎると、すぐにお盆がやってくる。

立秋を過ぎた空は、夏の喧騒が徐々に遠ざかるように、静かだ。

それはどこか、枯れゆくことを思わせる。

だからだろうか、この時期には生と死に想いを馳せることが多い。

先祖が帰ってくる、そのお盆。

夏の終わり、蝉の死骸。

終戦の日。

夏の終わりは、静かな無音の色をした空とともに訪れる。

故郷への道のりを、西へ、西へ。

いつも、その車中は何の音楽もかけずに、ただカーエアコンの音だけが響く。

予想最高気温は、36度。

相変わらずの暑さだが、立秋を過ぎてしまえば、その暑ささえ切ない。

終わりが見えるとは、そういうものかもしれない。

菩提寺の空は、雲ひとつなく、人工的なまでの青さのようにも見えた。

車から降りて、歩いてくるだけでも汗が吹き出てくる。

墓地に人気は、まばらだった。

この暑さ、皆もっと早い時間に来ているのかもしれない。

手桶に水を汲み、柄杓で墓石に水をかける。

束子で墓石をこすりながら、刻まれた名の一つ一つを想う。

水をかけたそばから、じりじりとした陽射しに照らされて、乾いていく。

照らされているというよりも、まるで焼かれているような、そんな趣きすらある日差しだった。

汗を拭いながら、清掃を終わらせる。

橙色のホウズキのついた、墓花を手向ける。

手を合わせ、祈りを捧げている時間もまた、静かに流れていたように感じた。

手桶を片付けながら見上げた空にはまだ、雲ひとつなかった。