大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「学ぶとはどういうことか?」という視点から見る、根本裕幸師匠の「お弟子さん制度」のスゴさについて。

今日は、私がカウンセリングを学ばせていただいた、根本裕幸師匠の「お弟子さん制度」について、少しお伝えしてみたいと思います。

こんな方におすすめの内容になります。

  • 心理学、カウンセリングに興味があり、学んでみたい
  • 根本師匠の「お弟子さん制度」に興味がある
  • まだカウンセラーとしてやっていくかは決めていない

「お弟子さん制度」はカウンセラー養成講座なのですが、必ずしもカウンセラーにならないといけないわけではありません。

私自身も、受講を決めたときは、「カウンセラーになるぞ!」という強い意志があったわけではなく、「もっと学びたいなぁ」という漠然とした感じでした。

それが、こうしていまカウンセラー活動をしているのですから、分からないものです。

しかし、講座を修了して2年近くが経って私があらためて感じるのは、「お弟子さん制度」は最強の「学び」ができる講座だという点です。

今日は、その点を少し詳しくお伝えさせていただければと思います。

「お弟子さん制度」に興味を持っておられる方の参考になりましたら、幸いです。

1.自己紹介

最初に、私自身の自己紹介を軽くさせてください。

私は根本裕幸師匠の「お弟子さん制度」を、2021年2月からスタートした4期を受講させていただきました。

4期はオンラインでの開催だったため、日本全国はおろか、南米や豪州や欧州、東南アジアといった地域から受講される方もいらっしゃる、実にワールドワイドな期でした。

そして、2021年8月の講座修了後から、カウンセラーとして活動を続けております。

2.学ぶことは、生きること

何を学ぶべきかの前に、「学ぶ」とは何か?

さて、私自身のご紹介はほどほどにして、今日のテーマである「学ぶこと」について考えてみたいと思います。

自戒を込めて書きますが、総務省による令和3年度の調査によれば、社会人の「学習・自己啓発・訓練」は週全体で平均7分(!)だそうです。

統計局ホームページ/令和3年社会生活基本調査の結果

仕事に、あるいはプライベートに忙しいのは当然そうなのでしょうが、それでも7分とは、なかなか少ない時間のように感じます。

しかしながら、「生涯学習」、あるいは「リスキリング」という言葉をよく耳にするように、学び続けることがますます重要になる時代になっていくことは間違いなさそうです。

そんななかで、「何を学んだらいいのだろう?」と迷うこともあるかもしれません。

この記事を読まれているあなたさまは、きっと「お弟子さん制度」にご興味がおありなのでしょう。

しかし、「お弟子さん制度とは…」というお話をする前に、まずは「学ぶとはどういうことか?」ということについて、少し考えてみたいと思います。

遠回りのように見えるかもしれませんが、それが「お弟子さん制度」のことをお伝えするのに、きっと役に立つからです。

「アンラーン」と「わかる」こと

学ぶ技術の中で、「アンラーン(unlean)」という技術の重要性が、よく言われます。

これまでに学んだ知識や技術、経験やスキルから生まれる固定概念や思い込み、思考のクセといったものを意識的に手放すことで、新しい知識を得られる自分にする、という概念です。

何かを学ぶときに、この「アンラーン」は欠かせない概念といえます。

この「アンラーン」を考えるとき、私はかつて聞いた阿部謹也(あべきんや)氏のエピソードを想起します。

名著「ハメルーンの笛吹き男」などを著した、中世社会史研究の大家である阿部氏には、歴史学者の上原専禄(うえはらせんろく)氏という師匠がいました。

上原氏は、彼の主宰するゼミのなかで、受講生が何かの研究発表をしたあとに、決まってこう言ったそうです。

「それで、何がわかったんですか?」と。

もし自分が指導教官から言われたら…と想像すると、なかなかに強烈なインパクトのある言葉ですよね笑

そんな師匠の上原氏に、あるとき阿部氏は聞いたそうです。

「わかるとは、どういうことですか?」と。

これに対して、上原氏はこう答えたそうです。

「わかるということは、それによって自分が変わることでしょう」

実に深く、考えさせられる答えだと思いませんか?

 

とかく我々は「学ぶ」というと、新しい知識を得たり、技術を修得したり、マスタリングすることを指すと考えてしまいます。

もちろん、それも「学び」の一部です。

しかし、もう少し深い意味での「学び」とは、それを学ぶ以前と同じ人間ではなくなる、ということです。

世界観、人間観、生き方、仕事の仕方、あるいは人への接し方…そうしたすべてのものが、学んだことによって変わる。

それが、「学ぶ」ことの本質であり、それゆえに「学び続ける」ことは「生きること」と同義なのだと思います。

「新しいアプリ」と「OSのアップデート」

何かの知識や技術を新しく入れることは、スマートフォンでいうところの新しい「アプリ」を入れることに似ています。

新しいSNSのアプリを入れたり、ヘルスケアのアプリを入れたり。

しかし、本当の意味での「学び」とは、「OS」の部分のアップデートです。

上に書いた上原専禄氏の語った通り、「それまでの自分ではなくなる」という意味ですね。

AndroidOSやiOSのバージョンをアップデートしたら、それまでとまったく違う動作環境で動き、そして前のバージョンには戻れないように。

人にとっての「OS」とは、「在り方」と言い換えられるのでしょう。

しかし「OS」や「在り方」とは、無意識にしている部分も多く、なかなか手放すことが難しいものです。

「お弟子さん制度」は、この「OS」「在り方」のアップデートの機会を与えてくれる学びだと私は思うのです。

もちろん、心理学やカウンセリングの「やり方、方法論」も学びます。

ですが、それ以上に「在り方」の部分を学ばせてくれる場だと思います。

なぜか。

それは、講座のなかで、自分自身と向き合うことが必要になるからです。

いままでの自分の歩んできた道を振り返り、そこに価値を見る。

もちろんそれは、自分一人でできることではありませんので、受講生の仲間と一緒にしていくわけです。

思い出したくもない過去や、自分が隠そうとしている部分が、かけがえのない光に変えていくのが、「お弟子さん制度」の講座といえます。

それは誰かに強制されるわけでもありませんし、やらなくても誰にも何も言われません。

けれども、そこにベットするものが大きければ大きいほど、返ってくるリターンも大きくなります。

「お弟子さん制度」は最強の「学び」

そういった意味で、「お弟子さん制度」は最強の「学び」だと思います。

私自身、先ほどの例でいえば、「お弟子さん制度で学ぶ前」と「学んだ後」では、まったく違うように感じます。

それだけに、深い「学び」だったのでしょう。

過去形で書いてしまいましたが、その「学び」はいまも続いています。

そうした「学び」を続けることで、自分が分かっていないことを知り、謙虚さを与えてくれるものです。

それは、「こんなことも知らない」という自己を卑下することとは違います。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」の言葉の通りだと思うのです。

3.予定調和にならない「学び」こそ

効果が見込める学びは、それ以上にならない

さて、「学び」におけるもう一つの視点は、「効果が見込める学びは、それ以上にならない」という点です。

言い換えると、「これを学べば、こんなメリットがあるよ」という動機による「学び」は、なかなかモチベーションが上がらないものです。

学習心理学の世界では、「予告された報酬」が動機付けを減退させることが明らかになっています。

人の心のモチベーションというのは、おもしろいものですよね。

私自身も振り返ってみると、具体的なメリットをエサにした「学び」で、続いたことはあまり無いように思います。

語学、資格や試験、お金の勉強などなど…(遠い目)

「え?じゃあ、『これを学んだら、こうなれるよ』という理由でないならば、何を学んだらいいんだよ?」

と思われるかもしれません。

その問いに対する答えは、一つです。

「よくわからんけれど、心惹かれるものにベットしてみるしかない」

結局のところ、上に書いたような本当の意味での「学び」は、自分の固定概念、ビリーフ、予定調和が崩れたところから始まります。

その意味で、人生のなかで起こる「問題」は、私たちに何を学ぶべきかを教えてくれるともいえます。

もし、あなたが「よーわからんけど、お弟子さん制度が気になる」のであれば、それが答えなのでしょう。

多人数によるエネルギーの交わり

こう書くと、「お弟子さん制度は、まったく予定も何もないのか?」と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。

もちろん、カリキュラムがあります。

私が学んだ4期と、いまは違うのか分かりませんが、根本的な部分は変わっていないのでしょう。

しかし、そのカリキュラムで進められる講座から、何を学ぶのかは、受講者それぞれで全く違うのでしょう。

たとえば、「お弟子さん制度」では、ワークをしたり、実習をしたり、あるいはデモセッションで学んだりする時間があります。

多くの受講者の方たちと交わることで、その「学び」はその人だけのものになります。

そして、そうした多人数の場のエネルギーを「癒し」にもっていくことに関して、根本師匠は天才的です。

まあ、あまり天才という言葉は適切ではないかもしれませんが笑

大人数で、半年間かけて学ぶ「お弟子さん制度」。

そこには、予定調和ではない学びがあります。

そして予定調和ではないがゆえに、そこで得られるものは大きな恩恵を与えてくれます。

4.空母としての「お弟子さん制度」

時間軸を広げた視点

「学ぶとはどういうことか?」という視点と、それを「お弟子さん制度」に当てはめてみることで、ここまで書いてきました。

ここで、少し時間軸を広げて考えてみたいと思います。

「お弟子さん制度」を終了したあとの「学び」についてです。

こんなことを書くのは私の営業的にどうかとは思いますが笑、カウンセラーを続けていくことは、楽しいことばかりではありません。

なぜなら、自分の無価値観や罪悪感といった闇の部分と、向き合い続けなければならないからです。

そして、自分と向き合った分だけ、クライアントさまのなかの光を見つけることができるのです。

いくらクライアントさまのために!と思っていても、自分と向き合った深さの分だけしか、その方の光を見ることはできないわけです。

だから、常にカウンセラーは自分自身の価値を見て、罪悪感を手放し、自分を許していくことが欠かせません。

それはやはり、なかなかにしんどくなることもあります。

もちろん、自分一人でがんばることも大切ですが、辛いときやしんどいときに戻ってこられる場があるというのは、とてもありがたいものです。

そこには、自分とは異なるいろんな経験をして、たくさんの「学び」を重ねてきた先輩や仲間のカウンセラー、そして根本師匠がいるわけです。

そうした場が「ある」というだけで、安心できるものがあります。

さしずめ、「空母」があってこそ、戦闘機は自由に飛び回れるのと、同じ理屈でしょうか。

そういった意味で、「お弟子さん制度」というのは、その場での「学び」もさることながら、それ以上に修了してからの方が、「学び」は大きいのかもしれません。

私も、日々その「学び」の最中です。

つながりたいときに、つながれる

「空母」と書きましたが、それは「帰りたいときに帰ることができる」という意味でもあります。

「つながりたいときに、つながれる」とも表現できるでしょうか。

逆に言えば、つながりたくないときは、つながらなくてもいいんです。

「一緒に学ぶ仲間ができる!」という面ももちろん真実ですが、人とかかわる以上、同時にいろんな葛藤も起こります。

時に、周りと比較したり競争したりすることも出てくるかもしれません。

まあ、それはこうしたスクール形式の講座を受ける上では、避けられないことかもしれません。

けれども、一つ言えるのは、それが「お弟子さん制度」だから出る、というわけではないんですよね(経験者は語る笑)。

それは、出るべくして出る、自分自身のパターンと見ることもできます。

そういった意味で、自分自身の観念やパターンを手放していくことが、求められるともいえます。

カウンセラーに興味があるくらいですから、お弟子の方々はみな、愛情深い方ばかりです。

もちろん、根本師匠に惹かれるんだから、情熱あふれる自立系の人が多いのも確かですが笑

つながることもできるし、つながらなくてもいい。

けれど、そんな素敵な方たちと、つながることができる場があるのは、実にありがたいものです。

5.「お弟子さん制度」の「学び」

遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)

「遍界不曾蔵(へんかいかつてかくさず)」という言葉があります。

曹洞宗の開祖である道元禅師が、「正法眼蔵」のなかで書いた言葉です。

「遍界」とはすべての世界、全宇宙を指し、「不曾蔵」とは隠していない、という意味です。

すべてのことは、ありのままそこにある。

それを見えなくしてしまうのは、私たち自身の心であり、偏ったものの見方であり、固定概念や思い込みなのでしょう。

これまで述べてきたように、「学び」とは、そうしたものを取り払って、曇りなき眼で世界を見ることを導いてくれます。

「お弟子さん制度」とは、そうした「学び」を提供してくださる場であると思います。

私自身、「お弟子さん制度」のなかで、いろんなものの見方が変わりました。

いまでも思い出すのは、「お弟子さん制度」の期間、見上げた桜の美しさに感動したことです。

なにをいまさら、と思われるかもしれません。

けれども、そう感じたんですよね。

それは、自分と向き合うなかで、自分のアイデンティティが揺らいで、自分の価値が信じられない、しんどい時期でした。

そんな絶望的な気分で桜並木の下を歩いていました。

ふと見上げると。

すべての桜の花がこちらを向いて、微笑んでいました。

その美しさに、不意に落涙しました。

いままで、私は何を見ていたんだろう。

そう、感じた瞬間でした。

本来的な意味での「学び」を体験した瞬間だったのかもしれません。

人生を豊かにしてくれる、半年間の「学び」

私が受講する前に、「お弟子さん制度」を修了された先輩から伺ったお話です。

最後の講座の修了式で、根本師匠はこんなことをお話しされたそうです。

「カウンセラーになっても、ならなくてもいい。ただ、幸せになってください」

とても素敵な言葉だな、と感じたことを覚えています。

(自分の受講した4期の最後も、そんなことを仰っていたように思いますが、いまいち記憶が薄いのはなぜでしょう笑)

 

幸せになること。

簡単なようでいて、難しいものです。

まずは自分自身を知り、地に足をつけていくことが、大切なのは間違いないのでしょう。

そうした視点で考えると、幸せになるためには、学び続けることは欠かせない要素だと思うのです。

 

学ぶこととは、自分自身を変えていくということに他なりません。

そして、変わり続けることこそ、生きていることといえます。

もちろん、その変化のペースは人それぞれでいいのでしょう。

学ぶことは楽しく、人生を豊かにしてくれます。

そして、先ほどの「桜の美しさ」ではないですが、真実はずっとそこにあります。

それを見つけるカギが、「学び」なのだと思います。

「お弟子さん制度」には、そのカギがあると私は思うのです。

〇「お弟子さん制度」次回詳細はこちらをどうぞ。

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