今日は端午の節句、子どもの日ですね。
そして二十四節気では、「立夏」。
もう暦の上では、今日から夏のようです。
新茶の時期でもありますよね。
風薫る5月、過ごしやすい気温、新緑の色。
実に、気持ちのいい季節になりました。
七十二候では、「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」。
虫やカエル、ミミズといった生きものたちの活動が、活発になってくる時期です。
私が暮らしていた実家の近くは、田んぼが多かったものですから、小さなアマガエルをよく見かけたのを思い出します。
もう少し暑くなってくると、今度はウシガエルが活動してきて、夜な夜な、「フゴー、フゴー」というあの独特な声で鳴きはじめるので、寝るときに往生したものです笑
いまの住まいの周りでは、あまりカエルの声を聞くことが少なくなりました。
カエルといえば、やはり水のあるところに暮らすのでしょうから、カエルの声が聴けるというのは、それだけ水が豊かな証拠なのでしょうか。
その声を、なつかしく思ったりもします。
暦の上では、夏。
気温もぐんぐんと上り、草木の緑は濃くなり、生命が満ちていくのを感じられる時期です。
もう2週間もすると、「小満」が訪れます。
あらゆる生命が、天地に満ちはじめるという時候も、もうすぐです。
しかし、不思議なのは、二十四節気で「大」「小」がつく節気の名は、いくつかあるのですが、なぜかこの「小満」だけが、その対になる名前がないのです。
「小寒」の次には、「大寒」。
同じく「小暑」には、「大暑」。
しかし、「小満」には、その反対がない。
「小満」の次は「芒種」、穀物の種を植える時期とれます。
「大満」では、ないんです。
これ、なぜなんでしょうね。いつも不思議に思うのです。
私は、暦や節気の専門的な知識があるわけではないので、その確かな原因は分からないのですが、なんとなく、納得できるような気もするのです。
すべてに生命が満ちはじめる時期。
その時期を越えると、生命は静かに衰えはじめ、また冬を越すための力を蓄える時期になるのでしょう。
「すべてが満ちる」ということは、季節の中においても、ないのかもしれません。
それはどこか、この世界の中に完全さが存在しないことと、似ているようにも思います。
夏が訪れるせつなさもまた、それとよく似ている気がします。
なんというか、夏は満ちることよりも、欠けること、終わりゆくことへのセンチメンタルを、想起させるのです。
私は以前は、お盆を過ぎたあたりの、夏の終わりによくそれを感じていましたが、年を重ねるごとに、それを感じる時期が早くなってきたように思います。
そのうち、季節をひとめぐりしてしまいそうではありますが笑
そんな立夏、夏の訪れ。
あなたの周りでは、今日はどんな夏の風景が見られたでしょうか。
ぜひ、その風景から感じることを、味わい尽くしてくださいね。