大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「寂しさを感じることができると、音信不通だった相手から連絡が来る」事象を、どう解釈するか?

自分とつながると、外側の現実の事象が変わる。

よく言われることですが、なぜそれが起こるのかを、いろんな視点から説明してみたいと思います。

1.起きている事象からの視点

今日は、いつもとちょっと違う切り口のネタです。

先日、友人と話しているときに、記事のタイトルの話題になったんですよね。

「自分の寂しさを感じる、自分とつながると、音信不通だった相手から連絡が来るのは、なぜなんだろうね?」

よく言われるところの、自分の内面が変わると、外側の現実が変わる、というテーマに近しいものだと思います。

なぜなんだろう?と私も考えていましたが、その場では納得できる答えが思い浮かばなかったので、ちょっと落ち着いて書いてみようと思った次第です。

タイトルにピンと来られた方の、ご参考になりましたら幸いです。

まず、起きている事象面から、考えてみたいと思います。

前提としてあるのは、それまで「寂しさ」を感じることができていなかった、ということですよね。

「寂しさ」に限らず、自分の感情とつながっていない状態は、「自立」の問題としてよく現れるものです。

「依存」時代に、自分の感情に振り回された分だけ、それを嫌って抑圧するわけです。

しかも、その抑圧には「怒り」のエネルギーを使います。

いつもカリカリしていて、いまにも割れそうな風船のような、そんな状態といえます。

これ、本人に自覚はありません。

「え?全然怒ってないよ?普通だよ?」という感じです。

はい、私もそんな記憶があります笑

その感情の抑圧した状態の人って、端的に言って、とっつきにくいんですよね。

ほら、パンパンに膨れた風船って、文字通り腫れ物扱いになっちゃうじゃないですか。

それと、同じです。

感情を抑圧した状態だと、「あ、あの人に近づくと、なんか危なそう」と周りの人は感じることが多いわけです。

これ、言葉遣いもそうですし、出している雰囲気や行動、表情なんかからも、周り人は敏感に感じ取っているものです。

要は、自分から周りの人を遠ざけている状態になってしまいます。

カウンセリングを受けたりして、感情を解放することができると、この状態を解消していくことができます。

先ほどとは反対に、周りの人から声をかけられる「準備ができている状態」に、なるわけですよね。

その状態なら、音信不通の相手から連絡がきても、何の不思議もないですよね。

もちろん、たとえば顔も合わせていない音信不通の相手が、それを察知できるのかといえば、確かなことは分かりません。

けれど、人の心って、けっこうつながっていたりするものです。

それが、強い想いを寄せていたりする相手なら、なおさらです。

2.自作自演という視点

次は、もう少し違う視点から見てみたいと思います。

「なぜ、私はその相手を音信不通にしたのか?」という見方です。

カウンセリングでも、よくテーマになる見方の一つです。

たとえば、望まない状況があったとして、

「なぜ、自分はその状況を望んだのだろう?」

「その状況でいることによって、自分が得られるものは、なんだろう?」

という見方をしてみることです。

自作自演の視点といいますか、自分が真に望んでいたものは何かを探る問いかけです。

これ、自分のケアが十分にできたあとで、考えてみたい視点です。

「なぜ、私は彼女に浮気をさせたのだろう?」

「なぜ、私は会社に降格させたのだろう?」

そう問いかけてみて、「ひどい!」と感じるのであれば、自分をもう少しいたわる必要があるのでしょう。

その前提の上で、「なぜ、自分は相手に音信不通にさせたのだろう?」という問いを考えてみると、いろいろと見えてくるものがあります。

もちろん、さまざまな解釈ができますし、正解は一つではありません。

いまの自分がしっくりくる答えが、真実なのでしょう。

一つの見方としては、こうです。

「その相手を音信不通にすることで、得たいものがあった」

「それは、『寂しさ』を感じることかもしれない」

先ほど、「自立」するほどに、感情を感じにくくなる、と書きました。

もしかしたら、その相手を音信不通にするくらいにならなければ、「寂しさ」を感じられなかったのかもしれません。

そう考えると、音信不通の相手は、わたし自身が演じているドラマのなかで、悪役を(イヤイヤ)演じてくれている、ありがたい存在なのかもしれませんね。

そのように、自作自演の見方をすると、結構景色が一変することも多いものです。

3.才能のありか、という視点

最後の3つめは、才能のありか、という視点です。

先ほどの自作自演の視点とは、言ってみれば、「なぜ、自分にとってその状況が必要だったのか?」という見方をすることでした。

今度は、「なぜ、『自分と相手にとって』その状況が必要だったのか?」という逆の見方をしてみることです。

この見方、自分の軸が確立していない状態だと、相手のことばかり気にしてしまって、相手に振り回されてしまうので、注意が必要です。

その上で、先ほどの問いを考えるならば、自分自身の非常にコアな部分が見えてきます。

「音信不通」という状況を考えてみると、それを選んでいるのは自分自身なわけです。

たとえば、私の小学校時代の友人に、「たかひろくん」という子がいたのですが、もう何十年も連絡を取っていません。

言ってみれば「音信不通」ですが、私は別にそれを問題だとも感じないわけです。

(そういえば、たかひろくん、元気にしてるかな笑)

これ、伝わりますかね…?

「音信不通」を選んでいるのは、それを問題にしているのは、自分自身なわけです。

連絡が来ない相手に、固執してもいいし、「それもしょうがないよね」と、別の相手に目を向けてもいいわけです。

これ、自分が悪いとか、執着しているとか、そういったことではありません。

ただ、「音信不通」を問題にすることに、その人の何らかのコアなアイデンティティが関係しているのではないか、という見方です。

それは、何か。

一つ考えられるのは、「寂しさを癒し、罪悪感を癒す」ことのできる才能を持っているからではないか?というのが、私の視点です。

「音信不通」にしてしまうのって、親密感への怖れから、そうしていることが多いものです。

寂しいんだけれども、それを表現できない。

そして、連絡を断つということは、想像以上の罪悪感を抱えるものです。

それが、本人が気づいているかどうかは、別として。

その寂しさであったり、罪悪感を癒すことのできる才能があるからこそ、「音信不通」にこだわるのでしょうし、それが問題だと感じるのでは、ないでしょうか。

「音信不通」という状況は、「わたし」がつくりだしたもの、と先ほど書きました。

先ほどは、「いままで抑圧していた寂しさを感じるため」という見方でした。

これを、もう少し深めてみます。

その寂しさを感じた先では、相手の寂しさを癒すことができます。

私たちは、自分の感情とつながった分だけ、相手の感情も感じて、解放してあげることができますから。

「音信不通」という状況は、実は、その人の才能を開かせるためのスイッチなのではないでしょうか。

そう考えていくと、冒頭の「寂しさを感じることができると、音信不通だった相手から連絡が来る」というのは、自分の才能が開いたサインであり、ある意味でそうなるのは、当たり前のことなのかもしれません。

いかがでしたでしょうか。

起きている事象、自作自演、そして才能のありか。

3つの解釈を紹介しました。

音信不通という状況に限らずですが、起きているできごとに対しての見方として、ご参考にしていただければ幸いです。

今日は、寂しさを感じることができると、音信不通だった相手から連絡が来る、という事象の解釈の仕方、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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