大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

与えることに疲れてしまったときに考えてみたい、2つの視点。

自分はこんなにも頑張って与えているのに、なんだか疲れてしまった。

自分ばかり与えて、バカみたい。

そんな風に感じたことは、ありませんでしょうか。

そんなとき、考えてみたい2つの視点をご紹介します。

1.「与える」ことは「自立」の恩恵

「与える」こと自体は、素晴らしいことですよね。

誰かに愛を与える、笑顔を与える、何かプレゼントを与える…その行為自体は、とても素晴らしいことです。

「与える」という行為は、私たちが「自立」することの恩恵といえます。

私たちは、自分では何もできない「依存」の状態からスタートします。

「依存」の状態では、何かをしてほしいとき、何かを得たいとき、それは誰かから「与えて」もらうほかありません。

相手が、主導権を持っている状態ともいえますし、逆に「依存」の状態の価値を見れば、「受けとる」ことができる、と見ることもできます。

自分が差し出したものを、相手が満面の笑みで「ありがとう!」と受けとってくれたら、とても嬉しいですから。

しかし、「依存」の状態は、自分以外の他人が主導権を持っているため、自分の欲求をタイムリーに叶えてもらうことは難しいことがあります。

それがイヤで、人は「それなら、自分でやってやる」と「自立」していきます。

「自立」していくと、自分でできることが増えますし、それを周りの人に「与える」こともできるようになります。

社会人になると、初任給で親に一杯おごることもできるようになるイメージでしょうか。

「与える」ことができる、これが「自立」の大きな大きな恩恵です。

2.「自立の依存」の問題

満たされていない依存心が疼くから

さて、それで話が終わらないのが、「自立」の厄介なところです。

はい、そうは問屋が卸さないぜ!といった感じでしょうか笑

「自立」して与えられるようになったとしても、「依存」時代の欲求が完全に満たされるわけではありません。

「もっと、こうしてほしい」

「ああしてほしい」

そういった欲求は、なかなか満たされることなく、「自立」の裏側でうずうずとしていたりします。

「自立」の裏側には、満たされていない依存心が疼いているわけです。

これを、「自立の依存」と呼んだりします。

言ってみれば、何でも自分でできるように見えて、その後ろではめちゃくちゃ他人の反応や言動を気にしてしまっている状態です。

自分だけ与えて、全然満たされない。

なんだか、自分ばかり尽くしているみたい。

そんな風に感じるときは、「自立の依存」の心理に陥っている可能性があります。

「与える」ことでもらおうとする、けど受けとれない

しかし、「自立」している以上、なかなかその依存心をストレートに表現することは難しいものです。

だって、そもそも「自立」したのは、「依存」時代に満たされない痛みがイヤで、自分でなんとかしようとしてきたわけですから。

「寂しいから、一緒にいて」

「私にも『愛している』って言って」

「しんどいから、助けて」

もし、そうしたことを周りに伝えて、それが無視されたり、否定されたりしたら…想像しただけでも、怖ろしいと思いませんか。

だから、「自立」にいる人は、その依存心をストレートに表現できないものです。

じゃあ、どうするか?

「与える」ことで、もらおうとするわけです。

「私はここまでやったから、あなたも同じだけやってね」

といったように、返してもらうことを前提とした「取引」になってしまったりします。

しかし、それはなかなか相手に伝わらなかったりしますし、もし相手が返してきたとしても、受けとれなかったりします。

「私がしてあげたから、返しただけなんだろうな。別に、与えたくてしてくれたわけじゃ、ないんだろうな」

そんな風に考えてしまうのが、「自立」的な人の特徴でもあります。

これが繰り返されると、冒頭に書いたような、「与えることに疲れてしまった」という心理に陥ってしまうことがあります。

だから、この「自立の依存」の心理は、いつも書いていて切ないのです(泣)

3.満たされないときに考えてみたい2つの視点

さて、そうした心理的な背景を見た上で。

「与えることに疲れてしまった」と感じたときに、少し考えてみたい2つの視点をご紹介したいと思います。

「与えてきたこと」の偉大さを認める

まず一つ目は、自分自身が「与えてきたこと」の偉大さを認める、という視点です。

どうしても、与えることに疲れてしまったりすると、自分がいままでしてきたことを否定したくなります。

「無理にこんなことしなければ、疲れることもなかったのに」といったように。

そして、与えてきたことの裏側に、依存心があったのかもしれないと聞いたりすると、いままで与えてきたことは、まるでダメなことのように感じてしまうこともあります。

まず、その方向にエネルギーを使わないことです。

それが取引だったとしても、依存心からだったとしても、あなたが「与えてきたこと」の価値は、何も失われないと思うのです。

「与える」ということは、とても尊いことです。

誰かを喜ばせるために、笑顔になってもらうために、誰かのために。

そう考えて、何がしかの行動をできたこと。

それは、とても素晴らしいことだと思いませんか?

まずは、その価値を、偉大さを認めることです。

そこを否定しようとするのは、とてもしんどいものですから。

自分が与えてきたことに対して、自分自身が承認を与え、その価値を認めること。

それが、一つ目の視点です。

依存心を認める

二つ目の視点は、もう少しハードモードです笑

結構、抵抗を感じるかもしれません。

先ほど書いた、与えることの裏側にある、依存心。

それがあることを、認めてあげることです。

「自立」的な人にとっては、とても難しいことです。

だって、いままでそれを抑え込むことで、頑張ってこられたのですから。

けれども、それがなかったことにしていると、「こっちを見て!」と駄々をこねる子どものように、その依存心は暴れてしまうものです。

その依存心が、自分のなかにあると認めることです。

依存心を認めることとは、それ誰かにぶつけてしまうようなイメージをしてしまうかもしれませんが、それとは少し違います。

その依存心が「ある」ことを認めることと、それに身をまかせることは、違います。

コツは、その依存心を、小さな子どものように扱ってみることです。

「そうだよね、寂しかったんだよね」

「もっと、やさしくしてほしかったんだよね」

「辛いときには、助けてほしかったよね」

そんな言葉を、自分のなかの依存心にかけてあげるイメージでしょうか。

それがあることを、認めるだけでいいんです。

認めるだけで、少しずつ変わってくるものがあります。

今日は、与えることに疲れてしまったと感じたときの心理と、そんなときに考えてみたい2つの視点をご紹介しました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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