大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼2 ~大斎原・湯の峰温泉公衆浴場

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼1 ~七里御浜・熊野本宮大社

熊野本宮大社旧社地・大斎原

熊野本宮大社に参拝したあとは、旧社地である大斎原へ。

のどかな田んぼの道の先に見えるは、大斎原の大鳥居。

2月の終わり、太陽が出ていると、コートを着ていると暑くなるような、そんな陽気だった。

明治22年に大水害が起こるまでは、この地に本宮大社があったと聞く。

熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある、舟型の中州。

江戸時代までは、音無川に橋がかけられておらず、草鞋を濡らして参拝するしかなかったことから、「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」と呼ばれた。

音無川の清い流れに草鞋を浸し、その水で清めるという、天然の禊(みそぎ)。

旧社の規模は、現在の数倍もあったとされる。

世界遺産に登録された記念碑。

静かな並木道を通って、旧社地にいまも祀られている石祠に、手を合わせる。

ここは、本当に不思議な場所だ。

何度訪れても、それは変わらないように思う。

連綿と長いときを重ねた時とともに、人々の祈りが積み重なっているのだろうか。

清き熊野川のせせらぎにて

大斎原を抜けると、熊野川のほとりに出る。

清き熊野川のせせらぎ、そして熊野の山々を眺めることのできる場所だ。

手ごろな岩に腰かけて、その熊野川の流れを眺めていた。

すべてを洗うような、熊野川の流れ。

熊野信仰は、自然信仰から生じたと聞く。

熊野那智大社は、龍のごとき滝。

神倉神社がルーツとするなら、新宮は威風堂々たる岩。

そして、本宮は、清浄なる川と神秘とともにある森。

歴史としての記録が残るはるか以前から、人はそうしたものを崇拝してきたのだろう。

そうしたものに触れると、「そこにあることの奇跡」について、心を寄せたくなる。

それはもちろん、目の前の人についても、同じなのだろうけれども。

そして、なぜその清き川が、この旧社を洗い流したのか。

考えても分かるはずのない、そんな問いが浮かぶ。

熊野川の流れは、ただその清さをたたえていた。

旅情の街並み、湯の峰温泉

大斎原を後にして、車を走らせる。

本宮にほど近い温泉地、湯の峰温泉へ。

山道を少し走ると、すぐにたどり着いた。

共同の駐車場に車を停めて、温泉地を歩く。

そのまま絵葉書にでもできそうな、温泉地の景観。

旅情に誘われて、そのあたりをふらふらと歩く。

いままで、本宮を何度も訪れたが、ここに来たことはなかった。

こういうところに目が向くようになったのは、少し緩んだからだろうか。

街を流れる、温泉の川。

温かな湯気が、立ち昇っていた。

この湯の峰温泉は、4世紀ごろに発見され、以来1800年の歴史を誇る、日本最古の温泉の一つとされる。

古来より熊野詣をする人々は、旅の途中でこの温泉に立ち寄り、旅の疲れを癒してきたそうだ。

近くには、「湯筒」と呼ばれる四角形の小さな温泉があり、そこで温泉卵や茹で野菜をつくることができる。

近くの土産物店で売っているそうだが、この日も何個もネットに入った卵が、ぼこぼこと温められていた。

湯の峰温泉の中心にある、公衆浴場へ。

「一般湯」、「くすり湯」、そして「つぼ湯」がある。

個室温泉のような「つぼ湯」は、待ち時間があるとのことだったので、「くすり湯」を選択。

源泉かけ流し・加水なしという、素晴らしきお湯。

タイミングがよかったのか、誰もおらず、一人でゆっくりと熊野の湯に浸かることができた。

長い運転の疲れが、白濁した湯に流れていくようで、貴重な時間だった。

身体に根が生えたようになってしまい、湯を出るのに一苦労だったが、脱衣場で着替えてからもずっと身体がぽかぽかと温かく、心地よかった。