「心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい」
以前に聞いた、そんな言葉を思い出します。
歳を重ねるほどに、その言葉が真実であることがわかります。
「豊かさ」の定義は、人によって違うのでしょう。
十人十色、百人百様の豊かさがあります。
ただ、私にとって、その言葉は非常に真実に近いように感じられるのです。
最近の私の心は、木蓮に惹かれていました。
木蓮にもいろんな種類がありますが、家の近所にハクモクレンがありまして、それに惹かれるのです。
一気に春らしさが感じられるようになるこの時期に、その純白の花を咲かせます。
木蓮は「地球上でもっとも古い花」とも言われているそうで、一億年以上も昔からこの姿だったそうですが、ハクモクレンもそうなのでしょうか。
花弁の中にある、裸子植物のような芯の部分が、太古の植物のような感があります。
冬の間、枝の先についた固いつぼみが、大きな純白の花びらを開かせるのは、よくできた手品を見ているようです。
そして、咲き始めた花弁から立ち昇る香り。
そして、木蓮の花は開ききることなく、その花びらを散らしてしまいます。
大きな花びらを一斉に落とすので、雨が降ったかのようにバラバラと音がするそうです。
実に、幻想的なお話ですよね。
一度、その場面に出くわしてみたいものです。
文字通り一斉に、花を散らす木蓮。
散り際の見事さでは、桜の花がよく言われますが、木蓮の散り方もまた、実に趣深いものです。
私が心を惹かれてやまない木蓮ですが、急に現れたわけではありません。
ずっと、そこにあったわけです。
それに気づくことは、生きることの喜びが増えることともいえるのでしょう。
「心を豊かにするには、草花の名前を覚えるといい」
名前を覚えることは、自分の世界のなかに、その名前を刻むことともいえます。
「これは木蓮だ」と、意識が向くようにもなります。
自然の変化、季節の移ろいを見ていると、それだけで癒されるものがあります。
かつての私は、そうしたものにまったく目がいかないものでした。
日々の天気の変化どころか、季節の移ろいすらにも、鈍感でした。
衣替えが、億劫だったものです笑
そう考えると、ずいぶんと心は豊かになったようにも思います。
考えてみれば。
一億年などという、気の遠くなるような遥か昔から咲き続けている花が、今日も咲いていると思うと、奇跡以外の何物でもないのかもしれません。
豊かさも、喜びも、あるいは奇跡にしても。
それはいつだって、手に入れるものでも、どこか遠くにあるものでも、ないように思います。
ただ、そこにあるものに、気づくだけ。
ただ、それだけのようです。
それは、自分自身の魅力もまた、同じようです。
ずっとそこにあるものに、ただ気づくだけ。
こうして文章のなかで、あるいはカウンセリングのなかで。
私はそれを、お伝えし続けていきたいと思うのです。