今年の桜は、ここ数年に比べて咲くのが遅かったようです。
「清明」の終わりを迎えても、まだわずかにその淡い色を楽しませてくれています。
満開の桜もいいものですが、生命力のあふれる葉桜もまた、格別なものです。
その役目を終えて散りゆく花と、新緑の生命力が交差する、そんな情感を見せてくれるようです。
七十二候では、「虹始見(にじはじめてあらわる)」。
徐々に大気が潤いをまとっていく時期であり、雨が多かったりと不安定な気候が続くこともある時期です。
花散らしの雨、と呼ばれたりもしますよね。
この時期に降る雨が桜を散らす情景を表すとして、「桜流し」という言葉もあります。
宇多田ヒカルさんの曲名にもなっていますよね。
雨に散った桜の花びらが、水を伝って流れていく。
実に、美しい言葉です。
今年の桜が咲くのが遅かったこともあって、私は家の近くの桜並木を、いつ咲くかなと日々楽しみしておりました。
花が咲く。
ただ、それだけのことに心を寄せる。
人の心というのは、不思議なものです。
「スモーク」という映画がありました。
大学生のときだったでしょうか。
姉に「この映画いいよ」と教えてもらって観たのですが、ストーリーから何から、私の琴線に触れる映画でした。
ニューヨーク、ブルックリンの片隅で煙草屋を営む主人公。
彼は、何年も、毎日同じ時間にお店の前の風景をカメラに収めることをライフワークにしていました。
スマホなんて無い時代の設定ですから、毎日毎日、三脚を立てて、パシャリと。
もうね、この時点で、収集癖のある私にとっては、ど真ん中なわけです。
なんたって、ストレングスファインダーの上位資質に、ばっちり「収集心」が入ってますから笑
常連客でもある小説家の友人に、その写真を見せることになりました。
その友人は、愛する妻に先立たれて、落ち込んでいたのですが、主人公の撮った写真のなかに、その妻が通勤する姿を見つけて、落涙するシーン。
そんな印象的なシーンから、映画は始まっていきます。
実に、いい映画でした。
特に、ラストシーンで主人公が写真を撮り続ける理由がわかるのですが、それがすごくいいんですよね。
人の業と、やさしさと、なんというか…
なんというか、この「スモーク」の主人公もそうですが、何かを続けることに、私は心惹かれるものがあるようです。
せっかくの、桜。
なんとなくですが、今年の桜を残しておきたくて、毎日同じ時間に撮影していました。
「スモーク」の主人公のように、雨の日までは撮っていないのですが笑
こうして見ていると、同じ場所、同じ時間の風景なのに、その変化の大きさに驚くばかりです。
何もしなくても、花は咲き、季節は流れていく。
ただ、花は咲き、散っていく。
今年の桜も、格別に美しかったです。