ようやく咲いた桜も、少しずつ散ってゆく姿を目にするようになりました。
満開になったと思ったら、すぐに散ってしまう。
その潔さが、桜の美しさでもあるとはいえ、散りゆく桜を見るのは、やはり切ないものです。
桜色に空を染めた花びらが、今度は足元を彩ってくれるのではありますが。
その一つ一つの花びらが、あの寒い冬を越して開いたかと思うと、「もう少し長く咲いていても、いいのになぁ…」と感じてしまうのもまた、人情かもしれません。
そういえば、これは息子に教えてもらったのですが、「桜の花は、色が濃くなると散る」そうです。
「え、ほんと?」と息子に聞き返してしまったのですが笑、調べてみると、どうやら本当のようです。
正確には、花の色が濃くなるというよりは、花の中心部の花弁の色が赤くなってくると、散るようです。
アントシアニンという色素が関係しており、この色素が咲く前は蕾に集まっているので赤く見え、それが咲くと一気に分散してあの薄い色になり、そして散り際になると、また中心部にその色素を集めるそうです。
そういえば、「桜が咲いた」と喜んでいるときは、ほんとに薄い色をしているのですが、「もう今年の桜も終わりか」というときは、紅色というか、赤い色が目立つように思います。
葉桜もまた、散った後には濃い赤色が印象的です。
お恥ずかしながら、四十数年生きてきて、初めて知りました笑
どこかから聞いたのか、自分で気づいたのかは分かりませんが、子どもの感性というのは、本当にすごいものですね。
さて、そんな散り際になると、葉桜を見ることができます。
咲きかけや満開の桜もいいのですが、この葉桜もまた、風情があっていいものです。
私も、この葉桜が大好きで、散ってほしくないという想いと、葉桜も美しいんだよな、という想いと、その両方に引っぱられるのが、この時分です笑
花を咲かせる、という生命の象徴ともいえる行為。
そして、その花が散り、新しい葉が生まれてくるという、生命のめぐり。
はじまりと終わりが集う場所のような、そんな趣きがあるのが、葉桜といえます。
人の生もまた、葉桜のようにも見えます。
変化と成長、そして別れ…そうしたいくつもの季節をめぐりながら、また同じ場所に還ってくる。
それは、螺旋階段を上るように。
同じ風景を、何度も見るのかもしれません。
けれども、ぐるりと回ってまた見る景色は、まったく同じではありません。
この春と去年の春は、同じようでいて、同じではありません。
それは、この葉桜を眺めている私自身にも、言えることなのでしょう。
そのことに、いいも悪いもなく。
ただ、いまの自分自身を眺めることが、自分を愛でることと近いのかもしれません。
一つの生命を愛でながら、季節と生のめぐりを想う。
葉桜を眺めることは、そんなことを教えてくれるようです。