自己肯定の第一歩は、いまある自分を受け入れること。
しかし、それを「自分を甘やかしている」と感じてしまうことがあるものです。
「自分を受け入れる」と「甘やかす」の違いについて、考えてみます。
1.自己肯定の第一歩は、いまあるものを認めること
トーナメント方式の自己肯定は長続きしない
昨日の記事では、「あるもの」を数えることの効用、というテーマでお伝えしました。
いまあるものを「指差し確認」するだけでも、心は落ち着きを取り戻す。 - 大嵜直人のブログ
自分を肯定するための第一歩であり、最も大切なことは、「いまの自分をそのままに肯定する」という点です。
これ、一般的には逆の感覚ですよね。
「仕事を頑張った自分」を褒める。
「成果を出した自分」を認める。
自分を肯定するとなると、そうした状況を想像されるかもしれません。
しかし、何かができたとか、何かが優れているとか、そういった部分で、自分を肯定していると、徐々に苦しくなってくることがあります。
先日の記事では「トーナメント方式」の自己肯定と表現しました。
要は、勝ち続けないと、成果を出し続けないと、頑張り続けないと、自分を肯定できないわけです。
しかし、そうしたことがいかに困難であるかは、説明するまでもありません。
トーナメントで勝ち残れるチームはたった一つですし、その一つのチームですら、次のトーナメントで勝ち残れるとは限りません。
違う表現をするなら、回し車のなかで必死に走るネズミよろしく、ずっと走り続けないといけない状態といえます。
止まってしまったら、もう自分を肯定できなくなってしまう。
しかし、ずっと走る続けられるネズミなど、いません。
ロボットのネズミなら走れるかもしれませんが、充電も必要でしょうし笑
何かができるとか、何かが優れているという形での自己肯定は、どうもうまくいかないようです。
あるものを受け入れるという自己肯定
一方で、その反対の自己肯定の方向性があります。
それが、「いまあるもの」を認め、それを受け入れるという方法です。
いまここにあるものを見つめ、それを受け入れていく。
この方法のポイントは、その「いまここにある自分」がどんなものであれ、そこに良い・悪いの判断を入れないことです。
「それが、いまのわたし」
そこを否定せずに、受け入れること。
そのように自分を肯定することは、ある意味でとても怖いことかもしれません。
しかし、「あるもの」を受け入れていくことは、自分を肯定することの第一歩であり、何よりも大切なことです。
自己肯定のベースとなる部分といえるのでしょう。
昨日の記事では、身の回りに「ある」ものを指差し確認するだけでも、不思議と心は落ち着きを取り戻していくといったことをお伝えしました。
2.それは、自分を甘やかしているんじゃないの?
自己肯定の第一歩は、いまの自分をそのままに受け入れること。
そうしたことを聞くと、こんなことが頭に浮かんだりするかもしれません。
「それって、自分を甘やかしているだけじゃないの?」、と。
これ、私もよく疑問に思っていたポイントですので、今日は少しこのテーマをお伝えしてみたいと思います。
自分を受け入れることと、自分を甘やかすこと。
その違いは、どこにあるのでしょうか。
今日はめずらしく結論から申しあげますと、その違いはどこにもありません。
「え?ないの?」と思われたでしょうか笑
そう、ないんですよね笑
もう少し正確に記すなら、受け入れることも、甘やかすことも、自分が決めることです。
同じ状態の自分を、「受け入れている」と見るのも、「甘やかしている」と見るのも、自分の勝手なわけです。
それを決めるのは、他人ではありません。
自分が、決めていいんですよね。
強いて言うならば、自分を否定的に見ているときは、「自分を甘やかしている」という風に見てしまうことが、多いように思います。
なので、「甘やかしている」という自己判断は、アテにはならないものです。
はい、これは私の経験則でもあるのですが笑
「自分を受け入れること」と「自分を甘やかすこと」。
その違いは何もなく、ただ同じ事象を自分自身が意味づけしているだけです。
そして、自分のことに対しての、自分の判断は、たいていズレていたりするものです。
3.「世界で一番厳しい人」
自分に対して、世界で一番厳しい人を知っていますでしょうか。
仕事の上司でしょうか。
父親でしょうか。
高校の時の部活の先生でしょうか。
パートナーでしょうか。
…いいえ、全部違います。
こう書くと、まあわかっちゃうと思いますが笑、そうなんです。
自分自身なんです。
誰しもが、自分自身に対しては、他の誰よりも厳しい目線で見ているものです。
他の誰かが、朝から頭痛でしんどそうにしていたら、「少し休んで、ゆっくりしなよ」と思うのに、自分の体調が優れなかったら、「こんなくらい、体調不良に入らない」とばかりに、自分に鞭打ってしまう。
他の人には「しょうがないよね」と言えるのに、自分に対しては「どうしてできなかったんだ!」と心の中で罵声を浴びせてしまう。
他の人なら「よくがんばったねぇ」と思うのに、自分が同じ結果になったら「ほんと、才能がないわ」と悪態をついてしまう。
思い当たる節、ありませんでしょうか笑
自分に対して、世界で一番厳しいのが、自分自身。
もしそうだとしたら、自分の状態や行動に対しての評価というのも、それを考慮した方がよさそうです。
「自分を甘やかしている」と感じるとしたら、それは9割引きくらいに考えておいた方が、いいのでしょう。
はい、クリアランスセールも真っ青の割引です笑
平たく言えば、もし「自分を甘やかしている」と感じるとしたならば、それは十中八九、いえ、ほとんどのケースで、「そんなことはなく、自分に厳しすぎる」といえるのでしょう。
自分に厳しいことは、もちろん悪いことでもなんでもありません。
けれど、その厳しさは、冒頭に書いた「トーナメント方式」の自己肯定に、容易につながってしまうんですよね。
言ってみれば、「こんな状態のわたしでは、愛されない」「だから、走り続けないといけない」という思考です。
これが発動すると、私たちはラットレースよろしく、倒れるまで走り続けないといけなくなります。
それは、なかなかにしんどいものですよね。
自分を受け入れることと、甘やかすこと。
その両者には、自分が自分をどう見ているか、という違いしかありません。
「甘やかしているのか、そうでないのか?」と考えるよりも、「自分が自分をどう見ているか?」にフォーカスする方が、自分を肯定するという意味では、有効なのでしょう。
今日は、自分を受け入れることと甘やかすことの違い、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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