「自分の気持ちが言えない」という悩みの裏には、「自分は汚れている」という罪悪感があったりします。
「どうやったら言えるようになるか」も大切ですが、その前に「言わないことで愛を伝えようとしてきた自分」を認めてあげることをおすすめします。
1.「罪悪感」と「癒し」
昨日の記事では、「罪悪感と癒し」について、お伝えしました。
そのできごとの意味づけを、ポジティブに変えるとしたら、どんな風に見ることができるだろう? - 大嵜直人のブログ
さまざまな問題を引きおこす、「罪悪感」。
「罪悪感」があると、人は自分を幸せから遠ざけるような行動や選択をするようになります。
悪いことをした人間は、罰を受けないといけないわけですから。
そうした「罪悪感」ですが、その根源には「大切な人を幸せにしようとした、けれどもできなかった」という経験があるものです。
言い換えると、どうでもいい人や、どうでもいいできごとには、私たちは「罪悪感」を抱きません。
けれども、自分の大切な人が苦しんでいるのに助けられなかったり、あるいは自分が傷つけてしまったりしたとき、人は強い「罪悪感」を抱きます。
「罪悪感」は問題を引きおこす厄介なものですが、それは人の愛と深く結びついているのものでもあります。
それゆえ、「罪悪感はいけないもの、消した方がいい、なくした方がいいもの」と考えるよりも、「あって当たり前のもの」として、とらえる方がいいのでしょう。
誰もが持っていて当たり前の「罪悪感」ですが、自分を癒していくことで、それを薄めていく、軽くしていくことができます。
「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを意味します。
これまでの自分が経験してきたできごとを、「罪悪感を抱くような暗いストーリー」から、「大切な人を愛そうとした、愛の物語」に書き換えていくこと。
そうした「癒し」が進むほどに、「罪悪感」は薄まり、自分にとって幸せな選択や行動を取ることができるようになっていきます。
2.「私は汚れている」という罪悪感がもたらすもの
たとえば、「罪悪感」のなかには、「私は汚れている・穢れている・毒である」といった種類のものがあります。
こうした「罪悪感」は、実にさまざまな要素から生まれるものですが、もし自分をそんなふうに見ていると、「できるだけ自分を出さない」「表に出ない」「自分の気持ちを隠そうとする」ものです。
たとえば、最近はインフルエンザがまた流行っていますが、自分がインフルに罹ってしまったときを想像してみてください。
会社や学校で感染を広げないように休むでしょうし、家族にはできるだけ接触を避けて、隔離して引きこもったりもするでしょう。
あるいは、段ボール箱に入ったミカンが届いたとします。
もし、そのなかの一つのミカンが腐っていたら。
そのミカンはそのままにせず、その箱から取り出して隔離するものです。
そうなんです。
「自分は汚れている」という観念があると、周りの人との接触を避け、自分を出すことを控え、自分の気持ちを表現することも抑えるようになります。
誰かと接すると、自分の汚れをうつしてしまうような気がするから。
さしずめ、全身にペンキをかぶった状態だと、誰かに触れることができないように。
ペンキをかぶるって、あまりないシチュエーションではありますが笑
それは、人付き合いという面でもそうでしょうし、自分の気持ちを伝えられない、といった形でも表れてきます。
そして、その相手が自分にとって大切な人ほど、自分の想いを伝えたりすることが、難しくなります。
だって、大切な人ほど、汚れてほしくないですし、綺麗なままでいてほしいじゃないですか。
なんだか、書いていて切なくなりますね…
でも、これが「自分は汚れている」という「罪悪感」がもたらすものです。
「罪悪感」を感じたときの人の反応は、攻撃するか、引きこもるかのいずれか、という話を、以前に書きましたが、その「引きこもる」という反応といえます。
3.「言わない」ことで伝えようとしたもの
「自分の気持ちを言えない」
カウンセリングでも、そんな悩みを持っている方がいらっしゃいます。
自分の気持ちを伝えられないことほど、辛いことはないものです。
まして、それが自分の大切な人に対してであれば、なおのことです。
「どうしたら、自分の気持ちを伝えられるようになるのか?」ということが気になる方も多いかと思います。
方法論的には、いろんなアプローチがあるかと思いますが、そうしたものの前に私が大切にしている視点があります。
それは、「自分の気持ちを言えない」というあなたを、「あなた自身が」責めるのをやめてあげる、ということです。
自分の気持ちが言えない、伝えられないことは、辛いことであり、しんどいことです。
けれども、その「言わない」という選択をした自分を、自分が否定するのは、二重にしんどいことです。
もしかしたら、「自分は汚れている」という罪悪感から、そうした選択をしたかもしれません。
けれどもそれは、先に見てきたように、「大切な人を汚したくない」という愛の形だったともいえるのではないでしょうか。
「言わない」ことで伝えようとする愛の形も、あります。
それを、あなた自身が、否定しないでいてあげてほしいのです。
もちろん、それをすぐに100%そうだと認めることは、難しいかもしれません。
はじめは、「ふーん、そんな見方もあるんだな」くらいの軽い感じで、いいんです。
もし、その見方を聞いて、「いや、それは絶対違うわ!」と思いたくなっても、それでいいんです。
ただ、その見方を知ること。
そこから、「癒し」ははじまっていくのですから。
その「癒し」が進むほどに、「罪悪感」は薄まります。
そうすると、「言わない」という愛し方も、「言ってみる」という愛し方も、どちらも選べるようになっていきます。
「自分の気持ちを言えない」ことは、たとえ辛いことではあっても、誰かに否定されることでもありません。
ぜひ、「言わない」ことで愛を伝えようとしたことを、あなた自身が認めてあげくださいね。
今日は、「言わない」ことで伝えようとする愛の形もある、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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