自己否定から自分を変えようとすると、なかなか続かないものです。
しかし、「癒し」が起こると、それまでの自分を包含した変化が起こります。
その変化は、根源的で永続的なものです。
1.癒されて半分、残りは分け与えてこそ
昨日の記事では、癒されて半分、というテーマでお伝えしました。
癒されて半分。残りの半分は、癒された自分を分け与えてこそ。 - 大嵜直人のブログ
ものごとの見方がポジティブに変化することを、「癒し」と呼びます。
私たちが癒されるとき、それはいろんな過去のできごとや、自分自身についての概念がポジティブに見ることができるようになる、という変化が起こります。
人生最悪と思っていたできごとが、自分の人生を生き始めるターニングポイントになっていたり。
別れや死別を想うとき、悲しく辛いものというイメージだけだったのが、その相手に対しての感謝が先に出てくるようになってきたり。
「癒し」とは、私たちの心が、起こったできごとをそのままに受け入れ、自分自身をありのままに認めるというプロセスであるといえます。
そのために、新しいことを学んだり、自分の知らない価値観を持っている人に会いに行ったり、カウンセリングを受けたりするものです。
さて、こうした「癒し」には、「癒されて半分」という言葉があります。
これは、自分が受動的に癒されることだけでは、「癒し」はその半分までしか進まない、というほどの意味です。
(もちろん、「自分を癒そう!」と思うこと自体は、十分能動的ではありますが)
「癒されて半分」ならば、その残りの半分は何なのかといえば、これは「分け与えてこそ」というのが、昨日のテーマでした。
分け与える。
それは、自分が誰かを癒すといった、直接的なことに限ったことではありません。
「癒し」を経て変わった新しい自分を、世界に与えていくこと。
その価値観やものの見方で、周りの人と接していくこと。
そうした「自分自身を分け与える」という意識を持つことで、「癒し」は加速していきます。
癒されて半分、残りの半分は、その癒された自分を世界に分け与えてこそ、ということを、昨日はお伝えさせていただきました。
2.「癒し」と「変化」について
さて、こうした「癒し」ですが、じゃあそれが具体的に何になるのか?ということについて、今日は少し考えてみたいと思います。
まどろっこしいのはイヤでしょうから笑、先に結論を書きますと、「癒し」がもたらすのは、自分自身の根源的で永続的な「変化」である、というのが今日のテーマです。
この「根源的で永続的な」というところに、マーキングをしてください。
別に、テストに出るわけではありませんが笑
それは「変化」というよりも、「変身」「変容」といった方が、近いのかもしれません。
私たちは、何がしかの欲求を感じると、自分自身に「変化」を求めます。
「もっとお金を稼げるようになりたい」
「深く愛し合えるパートナーがほしい」
「もっと筋肉をつけて、誇れる身体になりたい」
こうした欲求を満たしてくれる「変化」を謳うサービスは、世に多かったりもしますよね。
いまの自分を否定している分だけ、私たちは大きな「変化」を求めたりもします。
しかし、そうした自己否定をガソリンにした「変化」は、なかなか続かないものです。
スタートダッシュのときは、すごいエネルギーを生むんですけれどね。
ほら、あるじゃないですか、ダイエット器具を揃えて、24時間営業のジムの会員になって、1週間で何もしなくなる、とか。
語学の教材を一通り揃えて、10ページも開いていない、とか。
私も、思い当たる節がありありです笑
そして、よしんばその「変化」が得られたとしても、その「変化」がほんとうに自分にとって望ましいではなかったりします。
「欲しいと思っているものが、一番いいものとは限らない」、なんて言われたりもしますよね。
ずっと欲しかったものを手に入れたとたん、それが色褪せて、すごくつまらないものに見えてしまって、「いままで、自分は何をしていたんだ」とがっかりする。
そんな経験をされた方も、多いかもしれません。
3.「癒し」からの変化は、それまでの自分を包含する
その一方で、「癒し」が起こると、私たちは変化します。
いえ、変化せざるを得ない、といった方が正確かもしれません。
それは、そうですよね。
ものごとの見方や考え方、価値観といったものが変わるわけですから、それまでと同じようには生きられないわけです。
さしずめ、「電子メール」が無い世界から、それが有る世界に引っ越したとしたら、コミュニケーションの取り方から何から、いろんなことが変化せざるを得ないと思いますが、「癒し」とはそれくらい大きな変化をもたらすものといえるかもしれません。
そして、「癒し」から変化が起こるとき、それまでの自分の歩んできた道のりを包含した変化が起こります。
先に挙げたような、それまでの自分を否定することでの変化との、大きな違いが、この点です。
それまでの自分がしてきたこと、自分の身の周りで起こったできごと、そうした一切合切が、ポジティブな意味を持っていきます。
それは、どんなできごとも、夜空に浮かぶ美しい星座を形づくる、星々の一つ一つになるような、そんな感覚に近いものです。
ですから、ある意味で、
「日々幸せを感じられるようになった」
「パートナーシップが充実してきた」
「豊かで満たされた生活ができている」
といった変化は、あくまで結果であり、その土台になっているのが「癒し」である、と考えると、分かりやすいかもしれません。
そうした「癒し」がもたらす変化は、一回限りのものではありません。
常に変化していくものですし、その変化のたびに、自分自身の本質に近づいていくものでもあります。
だから、私のブログでは、あまり「こうしたら、こんなふうに変化できますよ」という直接的なことは、あまり書いていないんですよね。
それは、もしかしたら遠回りのように、まだろっこしい(日本語合ってます?)と感じられるかもしれません。
でも、自分自身を癒していくことが、結局は一番自分が欲しいものにたどりつく近道なんじゃないかな、と思うのです。
今日は、癒しと変化について、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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