私たちはどうしても、「する」ことの価値に重きを置きすぎるものです。
けれども、「ある」ことにもまた、無限の価値があるのです。
1.成長しても、していなくても
昨日の記事では、成長してもしていなくても、というテーマでお伝えしました。
成長してもしていなくても、あなたは何も足りないものなどない完全な存在。 - 大嵜直人のブログ
もとは、「自分が成長してない」と感じるときほど、自分が成長しているとき、というお話からのつながりでした。
人の成長は直線上ではなく階段状であることが、多いものです。
階段上であればこそ、その踊り場の時間というものは、非常に大切なんですよね。
だから、「成長していない」と、自分を責めたり、否定したりしてしまうのは、とてももったいないものです。
ただ、そもそも論として、「成長しないといけない」と考えなくても、いいのではないでしょうか、というのが昨日のテーマでした。
「成長に向かって、努力したり、工夫したりする」ことが、自分にとっての愉しみ、喜びになっているのなら、それは別にいいんです。
そのなかで「成長していない」といった問題に当たっても、それをどうやって解決するか?を考えることが、楽しいのでしょうから。
けれども、「成長しないといけない」ことをネタにして、自分を責めるのは、やめた方がいいんでしょうね。
それは、ある種の自分いじめ、自己否定なのでしょうから。
そもそも、成長してもしていなくても、あなたは何も足りないものなどない存在なのですから。
2.「する」ことの価値と、「ある」ことの価値
成長する・しないもそうなのですが、どうも私たちは、自分自身が持っている価値を軽く見積もりすぎるようです。
「する」ことの価値に重きを置きすぎて、「ある」ことの価値を軽んじてしまう、とも表現できるでしょうか。
「する」こととは、文字通り誰かに何かをしてあげたり、目に見える成果を上げたり、自分が何かをできたり…そういったことを指します。
自分が動いたり、その動くことで得られる成果、ともいえるでしょうか。
仕事の成果や年収なんかは分かりやすいですし、他人からの評価や反応といったも、そうなのでしょう。
このあたりは、自分の価値を感じやすいですよね。
なんたって、目に見える形になったり、現実に誰かからお礼や愛情を伝えられたりするわけですから。
「あぁ、自分を認めてくれる尺度がある」
と感じられるわけですから。
一方、「ある」ことは、そうではなないんですよね。
「自分がそこにいるだけで、価値がある」ことを、信じないといけないわけですから。
難しいんですけれど、この「ある」ことの価値を信じられないと、
「常に自分は何かをしていないといけない」
「自分ではない、誰かにならないといけない」
といった観念を持ちやすくなります。
すごくわかりやすい例でいえば、「何もしないでゆっくり休む」ことに罪悪感を覚えたりするわけです。
それって、疲れるし、落ち着かないですよね。
3.あなたが、そこにいるだけで
これ、別に「する」ことよりも、「ある」ことの方に価値がある、という比較の問題ではないんです。
「する」ことにも価値はありますし、何かを形にする、成し遂げる、与えるといったこともまた、人が生きる喜びの一つです。
ただ、そちらに比重を置きすぎると、逆に「する」ことの奴隷になってしまうことがあります。
なんとなく、伝わりますかね笑
だから、「ある」ことの価値とのバランスが大切なんですよね。
そして、「ある」こととは、なかなか意識しないと、忘れてしまいがちなものです。
だって、「する」ことの方は、評価や反応といった、フィードバックが常にあるんですが、「ある」ことは自分が意識してないと、なかなか実感できないですよね。
自分が、そこにいるだけで、無限の価値がある。
それは、なかなか信じづらいものかもしれません。
でも、それは真実なんですよね。
もし、信じづらいようでしたら。
あなたにとって、「そこにいてくれるだけで」という人やものを、意識してみることは、とてもいいレッスンになると思います。
その人に、何かしてほしいわけでもない。
ただ、そこにいることに、感謝をしたくなる。
そんな存在に、意識を向けてみてはいかがでしょうか。
それは、結局のところ、自分自身を見ているのでしょうから。
あなたがそう感じる分だけ、あなたにもまた、同じ価値があるのです。
今日は、「する」ことと「ある」ことの価値のバランス、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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