私たちが生きるなかで起こる、さまざまな「問題」。
できれば避けたいものですが、見方を変えると、それは本来の自分に戻るためのものであり、そのために感情を解放してくれるもの、と見ることができます。
そうした見方は、主体的に「問題」と向き合うために有効なものです。
1.自分の可能性を広げるものとしての「問題」
先日の記事では、「問題」とは自分の才能や可能性を広げるためのもの、という見方をお伝えしました。
自分の才能を抑えつける「呪い」と、それを解くために「問題」があるという視点。 - 大嵜直人のブログ
私たちは、どうしても自分で自分の才能を抑えつけてしまうものです。
その最たるものが、自分自身に対してのネガティブなイメージや観念であったりします。
「私はこういう人間だ」という観念は、自分を安心させてくれるものですが、それは同時に自分自身を縛る鎖にもなります。
そして、そうした観念やイメージというものは、過去の経験などからつくられたものが多く、なかなか変えることは難しいものです。
しかし、私たちが生きるなかで出会う「問題」は、そうした制限を取り払うことがあります。
生きていくなかで、私たちはいろんな「問題」に出会います。
パートナーシップや親子関係といった、人間関係。
お金についての経済的なもの。
身体や健康上の問題。
できれば、あまり出会いたくはない「問題」たちですが、さりとて、生きていくなかで、時に向き合わなければならないことがあります。
そうした「問題」は、一般的には忌避すべきものと考えてしまいますが、それを自分自身の可能性を広げるものという見方が、先般の記事のテーマでした。
2.問題とは、本来の自分に戻るためのもの
私たちが生きるなかで出会う「問題」。
先ほど、「問題」は自分の可能性を広げるという表現をしましたが、言葉を変えると、「本来の自分に戻るためのもの」ということができます。
本来の自分からズレた分だけ、自分がしんどくなる「問題」が起きている、という見方です。
「本来の自分」というのも、実に難しい表現ではあります。
パートナーの前での自分、仕事の同僚の前での自分、SNSの上での自分。
どれが、「本来の自分」かと言われても、どれも「本来の自分」なのでしょうし、そう考えていくと、そもそも「本来の自分」は存在するのか?という見方もありますしね。
ここでは、「その人らしくない(自分らしくない)」という表現の方が、しっくりきますでしょうか。
本来、マイペースで進めていくことが性に合っている人が、周りと競争しすぎてしまったり。
本来、人懐っこくて、人の輪をつくることができる人が、なんでも抱え込んで一人で頑張りすぎてしまったり。
本来、誰からも愛される気質の人が、それを受けとらずに、与えようとばかりしていたり。
そうした、「自分らしくない」生き方をしていると、どうしても心身ともに無理がくるものです。
そうしたときに起きるのが、「問題」という見方です。
なぜ、そうした「自分らしくない」生き方をしてしまうのかといえば、それは過去の傷ついた経験からであったり、親や家族、あるいは地域社会から受け継いだ価値観からだったりします。
「問題」と向き合うことを通じて、それを癒すことが求められるものです。
3.抑圧された感情を解放するため、という見方
「問題」についての、もう一つの見方は、それは抑圧された感情を解放するために起きている、という見方です。
先ほど述べた、過去の傷ついた経験のなかで、私たちは何らかの感情を抑圧することがあります。
「寂しい」という感情。
誰か助けてほしい、という感情。
自分はとんでもなく悪いことをしてしまった、という感情。
そうした感情を二度と感じないようにするため、私たちはそれを心の奥深くに沈めて、抑圧してしまいます。
しかし、どれだけ抑圧しようとしても、感情がなくなることはありません。
それどころか、「寂しい」という感情を抑えてしまうと、その反対の「つながり」という感情が感じられなくなったりするものです。
そして、感情とは駄々っ子のようで、無視をするとますます「こっちを見てよ!」とばかりに、その声は大きくなるものです。
それでも、その大きくなった感情を抑えつけようとすると、私たちは自分のなかで膨大なエネルギーを使ってしまいます。
これを繰り返していくと、果ては無気力、無感動な状態になってしまったりもします。
「問題」とは、そうしたときに起こる、と見ることができます。
大きな「問題」にぶち当たったことがある方は、「この問題が起こっていなければ、こんな感情を感じることはなかった」と思うことがあるかと思います。
私自身も、そうでした。
「寂しさ」という感情を感じるために、じつにさまざまな「問題」を引き起こしてきたものです笑
それはさておいても、「問題」が起きるということは、それまで抑圧していた感情を感じるタイミングでもある、と見ることができます。
4.「問題」と主体的に向き合うために
「問題」とは、本来の自分に戻るためのもの。
そして、それまで抑えていた感情を解放してくれるもの。
こうした見方の素晴らしいところは、「問題」に(ひいては自分自身の人生に)、主体的に向き合えるようになることです。
どうしても、「問題」が起こると私たちは、依存的な被害者のポジションに入ってしまうものです。
「自分はそんなこと望んでいないのに…」
「なぜ、自分だけが…」
そうしたポジションに入ってしまうと、なかなか主体的に「問題」と向き合うことは難しくなります。
もちろん、「問題」が起こったばかりであれば、そう感じてしまうのも仕方がないのですが、ずっとそのポジションにいると、「問題」を解決することは難しくなってしまいます。
今日のテーマのような見方をすることのメリットは、そうした依存的なポジションから抜け出し、主体性を取り戻すことができるようになることです。
「すべての問題は、自作自演」
そんな格言がありますが、自分が引き起こした問題であれば、自分で解決することができるはずです。
たとえばレゴブロックでも、自分で組み立てたお城ならば、簡単に壊すこともできるのでしょう。
「問題」が起きたとき。
本来の自分からずれているとしたら、本来の自分とはどんな自分だろう?
そして、いままで抑圧していた感情があるとしたら、それはどんな感情だろう?
そんなことを考えてみることは、私たちにその「問題」の違った姿を見せてくれるものです。
今日は、「問題」とは本来の自分に戻るためのものであり、そのために感情を解放してくれるもの、というテーマでお伝えしました。
その見方は、主体的に自分自身の生を生きることを、後押ししてくれるものです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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