今日は、節分ですね。
「季節を、分ける」と書いて、「節分」。
冬から春へと切り替わる、節目の日のようです。
豆まきをして、恵方巻を食べるのも、今日ですよね。
「年齢の数だけ福豆を食べる」というのも、歳を重ねるごとにハードルが高くなるようです笑
今日は、そんな「節分」に寄せた話題を。
「コンフォートゾーン」は居心地がいいけれど、成長しない
季節の変わり目、移り目。
境界線のような日。
なんにでも、境界線というべきものがあるものです。
心の世界だと、「コンフォートゾーン」という言葉が、よく言われます。
「コンフォートゾーン」とは、文字通り居心地のいい場所であり、それだけにそこにとどまりたくなる場所を指します。
すべてが自分のコントロール下にあり、すべてが自分の理解下にあるような、そんな場所です。
この「コンフォートゾーン」にいると、居心地はいいのですが、その反面、自己を成長させることができません。
そして、困ったことに、居心地がいいものですから、そこから抜けだすのには非常に労力がかかります。
人間、誰しも居心地のいい場所が、いいものですからね…
境界線、ということでいえば、この「コンフォートゾーン」の内と外を分けるのが、それにあたるのかもしれません。
この境界線をひとたび踏み越えてしまえば、居心地のよさはなくなります。
自分で動いたり、額に汗したり、ときには冷や汗をかいたりしながら、なんとか外界の荒波を乗り越えていかなければなりません。
しかし、そうした試みの一つ一つが、私たちを成長させてくれます。
かいた冷や汗の一筋が、血となり肉となっていきます。
そう考えてみると、筋トレと似ているのかもしれませんね。
ジョゼフ・キャンベルの「英雄の旅」
この平穏な暮らしを抜けて、自己を成長させるというストーリーは、多くの神話などにもその類型を見られることを、アメリカの比較神話学者であるジョゼフ=キャンベルは指摘しています。
「英雄の旅」と名付けられたその類型は、多くのドラマや映画の脚本のもとになったと聞きます。
その「英雄の旅」のなかで、主人公が最初に試されるのが、「Threshold(境界線)」というステージです。
Thresholdとは敷居を指しますが、文字通り敷居を越えて外の世界に出ることを試されるできごとが起こるわけです。
その敷居とは、やはり自分自身が設定した限界のことでもあるのでしょう。
その先に、メンターとの出会いや、悪魔との戦いを通じて、自己を変容させ成長させていきます。
そして、その旅路の果てに大きな恩恵を得て、故郷へと帰ることになります。
故郷への帰還は、また新たな旅路への出発点と重なっていくわけです。
私たちの心の成長もまた、同じような遍路をたどるように思います。
「コンフォートゾーン」の二つの抜け方
さて、そうした「コンフォートゾーン」を抜けるのには、自分の意思の場合もあれば、天命のようなものの場合もあります。
自分の意思で運命を切り拓くのはカッコよく見えますが、後者であったとしても、その旅路の尊さは変わらないように思います。
これは、目標を立ててそれを達成することに喜びを覚える人と、目の前のことを一生懸命やっているうちに、何かを成し遂げる人との違いでもあるのかもしれません。
後者の場合は、境界線を越えるきっかけは、「問題」としてあらわれます。
思いもよらなかった「問題」によって、押し出されるようにして境界線をはみ出てしまう。
それは、とても大変で苦しいことのように見えるかもしれませんが、自分を大きく成長させてくれることは、間違いありません。
だから、どれだけしんどかったり、苦しかったとしても。
それは、境界線の外側にいることの証拠なのだと思うのです。
そして、そこで得るものは、すべて自分自身の財産になります。
英雄が、旅路のなかで得る財宝、あるいは霊力のように。
それは、どんなことがあっても消えない、大きな恩恵です。
自分の「コンフォートゾーン」を抜けるチャンス
ということで、節分の今日です。
わざわざ「問題」をつくる必要はありませんが笑、
少し、「コンフォートゾーン」を抜けだしてみては、いかがでしょうか。
ほんの少しでもいいんです。
何か、新しいこと、チャレンジだと感じること、少しハードルが高く感じること、抵抗を感じることをしてみては、いかがでしょうか。
いつもと違った道を歩く。
いつもとは違うメニューを試してみる。
気になっていた小物を買ってみる。
親しい人に感謝を伝えてみる。
どんな小さなことでも、大丈夫です。
ご自分の「コンフォートゾーン」を抜け、境界線を越えるようなことを試してみては、いかがでしょうか。
私も、小さなことを一つ、試してみようと思います。