「自立」の状態では、主導権は持っているものの、その行動原理は他人の評価や顔色だったりします。
この他人軸を手放していくためには、「わたし」を主語にすることがとても有効です。
1.感情を抑圧することと我慢することの違い
昨日の記事では、感情を抑圧することと我慢することの違い、というテーマでお伝えしました。
感情を抑圧することと、我慢することの違いとは。 - 大嵜直人のブログ
私たちの心は、「依存」から「自立」へと成長のプロセスをたどります。
主導権が他人にあって、自分では何もできないと感じる「依存」から、自分でやってみようという「自立」へと成長するわけです。
「自立」していくと、私たちは自分でできることを増やしていくことができます。
しかし、「自立」するほどに、私たちは感情よりも思考的になります。
自分のできることが増える分、自分のやり方や方法論といった正しさにこだわるようになるわけです。
そこでは感情はジャマになりますので、私たちは「自立」するほどに、感情を抑圧するようになります。
自分が悲しいとか、寂しいとか、そういったことを感じていたら、自分のやり方で進められなくなってしまうから、感情自体をなかったことにしてしまいます。
これが、感情の抑圧です。
しかし感情とは、勝手に湧き上がっては消えていくものであり、私たちがコントロールできないものです。
抑圧した感情は、決してなくなることなく、私たちの心の奥底に溜まり続けます。
それが臨界点を超えると、不意に誰かにその感情をぶつけてしまったり、あるいは身体に不調が出たりしてしまうことすら、あります。
その一方で、我慢することは、感情を感じながら、そのなかでじっと耐えているイメージです。
我慢することは、時と場合によっては必要かもしれませんが、感情を抑圧していると、あまりロクなことになりません。
昨日の記事では、そんな感情の抑圧と我慢の違いについて、触れてみました。
2.主導権と自分軸・他人軸
さて、今日はそんな「自立」における主導権を持ちたい心理について、少し考えてみたいと思います。
人が「自立」するのは、自分でなんでもしたい、言ってみれば主導権を握りたいからです。
それは、「依存」時代に、他人に振り回されて、満たされなかった辛さから、そうなるわけですよね。
いつ与えてもらえるか、どれだけ与えてもらえるか、わからない。
その主導権を持っているのは、自分ではなく、他人。
そんなにしんどい想いをするくらいなら、自分で手に入れた方が、マシだ。
こんな心理から、自分でなんでもやろうとしていくのが、「自立」です。
言ってみれば、自分ですべての主導権を握ってやろうとする、壮大な野望なわけです。
たしかに、「自立」するほどに、自分ができることは増えていきます。
それによって、主導権を握ることができる場面も、増えていくことでしょう。
しかし、だからといって、それで満たされるかと言えば、決してそうではないのが、「自立」のしんどいところです。
その逆で、「自立」すればするほどに、渇いていく感覚や、孤独になる感覚を覚えたりするものです。
はい、「自立」の皆さんは、大いに思い当たることでしょう笑
おかしな話ですよね。
「依存」時代に満たされなかったから、「自立」したのに。
「自立」しても、それが満たされないなんて…なぜなんでしょうね。
これを説明する視点として、自分軸・他人軸という視点があります。
「自立」すると、私たちは主導権を持つことができます。
ものごとを自分から進めることができたり、相手との関係性のなかでリーダーシップを発揮したりすることができるようになります。
しかし、そうした行動の根本というか、行動原理は何か?といえば、それは「他人にどう思われるか」「相手がどう反応するか」という基準なわけです。
こう行動したら、相手が喜んでくれるから、それをしてあげる。
こう反応したら、周りに嫌われないから、そうしている。
これが、他人軸と呼ばれるものです。
ここには、自分がいないんですよね。
それゆえ、どれだけ他人に評価されようとも、他人が喜んでくれようとも、誰かが愛してくれようとも、「自立」の人はそれを受けとることができません。
それを受けとってくつろぐよりも、「次は、どう思われるだろう」「ほんとのところは、どう思っているだろう」という不安の方が、大きいからです。
その答えは、自分のなかにはないわけですから、常にそれを探し続けなくてはならないわけです。
「自立」とは、主導権はあるんだけれども、その行動基準は他人に預けてしまっている状態といえます。
3.主語を意識するだけで違ってくる
これを抜け出すためには、その基準、軸を他人から自分にする必要があるわけですね。
「自分がしたいから、こうする」
「その結果として、周りが喜んでくれる」
という状態ですね。
よくあるケースが、「自立」の人が誰かに与えたときに、思っていたような反応を示さなかったとき、「自立」の人はめっちゃ傷つくわけです。
いや、正確に言えば、傷ついたことを隠して、怒りに変える、といった反応が多いでしょうか。
「なんだ、こんなにしてやったのに。もう、次からはしてあげない!」とばかりに。
主導権を持っているのに、それを使わなくなってしまうというか。
あるあるな反応ですよね笑
これが、行動原理が自分にあり、軸が自分にある状態だと、まったく違った反応になります。
「そっか、これは喜んでもらえなかったのか。じゃあ、次はどんな形で与えようかな?」
とばかりに、自分が与えることを楽しめるわけです。
これが、自分軸と他人軸の違いです。
行動基準が、自分にあるのか、それとも他人にあるのか。
その違いは、とても大きな違いです。
さて、じゃあ軸が他人にあるとき、どうしたら自分に移していくことができるでしょうか。
いろんな方法が、あります。
内省、というか、自分の感じていること、自分の内なる声を聞くことも、その一つなのでしょう。
ただ、「自立」にいると、なかなか自分の感じていることに、疎くなってしまうものです。
今日は、ごく簡単な方法として、「主語を意識する」というものをご紹介します。
自分の話している言葉、頭の中の思考、そういったものの「主語」を、「わたしは」「わたしが」にしてみるわけです。
他人軸の状態にいると、主語は自分以外の誰かや何かになってしまうものです。
「彼は」「会社は」「お金が」「親が」…といった具合に。
先ほどの例でいえば、「せっかく与えたのに、相手は喜んでくれなかった」といった感じでしょうか。
これを、「わたしは」「わたしが」に変えてみるんです。
「相手が喜んでくれなくて、私は悲しかった」
といった感じでしょうか。
これ、とても地味な方法ですが、続けていくと、すごく効くんですよね。
「私はこう感じていた」
「自分はこうしたい」
そういった感覚が、自然に感じられるようになっていくわけです。
そうするとね、自分の感じていることを大切にしながら、相手との関係を大事にできるようになっていきます。
「自立」を少しずつ手放していけるようにも、なることでしょう。
他人軸を手放すには、主語を「わたし」に変えること。
ぜひ、意識してみてください。
今日は、他人軸を手放すには、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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