いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます。
今日は、名前についての言葉をご用意いたしましょうか。
なかなか自己受容、自己肯定できなかった昔の私でも、自分の中で好きだったものがある。
それは、名前。
くせ毛や顔や身体的なものや、性格だったり、諸々の劣等コンプレックスはあったけれど、名前だけは好きだった。親しい友人から下の名前で呼ばれると、嬉しかったいい名前ですね、と言われると、全てが肯定された気がした。
名前のない人はいない。
そして、その名前はきっと生まれてきてくれて有難う、というかけがえのない感謝と愛情をもって名付けられた、たからもの。古風でもキラキラでも、その名前には愛情が溢れている。
ひらがなにして三つのそれを名付けられたとき、私は世界から唯一の個として誕生したのだと思う。
それは単なる固有名詞でもなく、まして群体から個を識別する記号でもない。
それは私のありのままの存在を肯定してくれるお守りであり、愛された記憶。そして、魂と呼ぶべきものがあるとして、仮にそれが輪廻するとしたら、今生の旅をするためのパスポート。
今こうして縁あってつながっている方の連絡先やリストを眺めるとき、愛情に溢れたパスポートが並んでいて、一人笑みがこぼれる。
2017.6.27
写真は、「浜松フラワーパーク」のオブジェです。
魔法がたくさんつまった「名前」をイメージしてみました。
・・・ええ、私も、どうしても自分が受け容れられないときがありました。
それがこうしてブログをオープンして、自分の言葉を提供できるようになった。
先のことは分からないものです。
・・・受け容れられなかったときのことですか?
そうですね、またお話しすることもありましょう。
それよりも、今日はせっかくなので、お客さまのお名前の、その愛された記憶を思い浮かべ、酔いに身をまかせてはいかがでしょうか。
名前で呼んでくれたこと、ふとした会話、ただそこにいてくれたこと、一緒に笑ったこと・・・そんな小さな小さなことが、振り返ってみると、実はあざやかな手品のような奇跡の数々だったのかもしれません。
どうぞ、ごゆっくりしていかれてください。