朝の冷え込みもずいぶんと緩み、だいぶ春の訪れを感じられるようになりました。
今日は3月3日、桃の節句。もう啓蟄も近くなってきました。
そんな日に、熱田神宮を訪れることができました。
上知我麻神社の横の「太郎庵椿」は、いまが盛りのようです。
桃色の花びらが、いくつも開いていました。
その近くには、白の椿と、赤の椿も咲いていて。
先月訪れたときは、まだ一つか二つしか咲いていませんでしたが、季節は流れますね。
参道を歩いて、本宮へ。
この日は参拝客が少なく、一人静かに手を合わせることができました。
お正月のように、多くの人が訪れてにぎやかな神社もいいのですが、こうして静かな神社は格別です。
ゆっくりと深呼吸して、こころの小径も歩いてみます。
こころの小径から戻ってくると、授与所の前の梅が咲いていました。
八分咲きくらいでしたでしょうか。
「ならずの梅」とよばれ、不思議なことに実がなることがない梅の木だそうです。
白の花、そして奥には濃いピンクの花。
一つの木に、二つの色の花が咲いているのが、実に不思議でした。
古くから、たくさんの人に愛されてきた梅の花。
その花弁を見ていると、春の訪れ、その喜びを感じられるようです。
日なたにいると、3月上旬とは思えない暖かさがありました。
ずいぶんと、日差しの力が強くなってきました。
そういえば、SNSでこんな言葉を見かけました。
喜びに泣いたのはいつだった?
詩を書いたのは?
音楽をつくったのは?
雨のなかで踊ったのは?
パイを焼いたのは?
絵を描いたのは?
何かを修理したのは?
赤ん坊にキスしたのは?
ネコを抱きあげてほおずりしたのは?
山登りしたのは?
裸で泳いだのは?
夜明けに散歩したのは?
ハーモニカを吹いたのは?
夜明けまで話しこんだのは?
何時間も海辺で、森のなかで、愛しあったのは?
自然とふれあったのは?
神を求めたのは?
黙って座り、自分という存在の最も深い部分にまで旅をしたのは、いつだった?
魂に、「やあ」とあいさつをしたのは、いつだった?
結構、ドキッとしますよね。
「最近したなぁ」というものもあるば、「最後にしたのはいつだったかな…」という質問もあります。
心が躍ること。ワクワクすること。
あるいは、童心。
気づくと私たちは、そういったものを忘れてしまいます。
もちろん、それを忘れるくらい、日常を精一杯生きている、ともいえるのでしょう。
ただ、「魂に『やあ』とあいさつをする」ことは、私たちが私たちであることの理由でもあります。
映画「いまを生きる(原題:DEAD POET SOCIETY)」で、主人公の高校教師であるキーディングが語った言葉を思い出します。
私たちが詩を読み書くのはカッコイイからではない。
私たちが人類の一員だからだ。
人類は情熱で満ちている。
医学・法律・ビジネス・エンジニアリングは私たちの生活に必要なものだ。
しかし、詩・美しさ・ロマンス・愛情こそが私たちが生きていく目的そのものだ。
こうして神社を訪れ、境内を歩き、静かに手を合わせること。
それは、「魂に『やあ』とあいさつをする」ことなのかもしれません。
そんなことを考えながら駐車場にやってくると、ごろごろと日なたぼっこするネコ。
ふらふらと引き寄せられると、スタスタとどこかへ歩いて行ってしまいました。
抱きあげてほおずりは、させてもらえませんでした。ざんねん。
桃の節句の、熱田さん。
花に囲まれて、春の喜びを感じる参拝でした。
また来たいと思います。