・・・ええ、ときにはなりますよね。私も当然ありますね。
「だってにんげんだもの」と言ってしまうと、色紙をお出しする割烹になりそうです。それはそれで需要があるかもしれませんが、今日は少し違った角度から。
周りの人の性格や趣向を否定したくなったとき、それは自らの性格や趣向へのこだわりや執着を緩める時期だというサインだと思います。
大切だと思っている性格や趣向も、否定したくなるそれも、一つのサイコロの出目の表裏なのかもしれません。周りの他人の中に、否定したくなる要素が出てくるときは、それはあなたという出目の鏡合わせかもしれない、というわけです。これは関係が近くなるほどに、顕著になる傾向があるようですね。
ずっと遠慮しがちで我慢しいな人は、自由奔放な人に嫌悪感を覚えます。
仲間の輪を大切にしたいときに限って、個人プレーで和を乱す輩が目につきます。
正直で誠実でいなければと思うほど、八方美人なお調子者が許せなくなります。
そういった鏡合わせの部分が目につくときは、ひょっとすると自分の中のその部分を抑えつけ過ぎているのかもしれません。陽だけにこだわるのではなく、陰の部分も受け入れ、統合すると、ますます陽の部分が輝くようになります。
サイコロの目は、表裏足してラッキー7。
表があれば裏がある。だから楽しめる。
もちろん、否定したくなった気持ちを無理に抑える必要はありません。あいつ、ムカつく!あいつのあの態度、許せん!ガチで〇す!!でいいんです。
そんで、さんざっぱら悪態をついた後にサイコロを思い浮かべて、まあ足してラッキー7になることもあるかもな、くらいに思えれば、十分緩んでいるのではないでしょうか。
さて今日は、そんなことの元ネタになったテーマをどうぞ。
なぜか私の周りにはプレイボーイ(表現が古いなぁ・・・)が多かった。
私自身は自己否定免許の更新を毎年していたし、自己表現も苦手で、かつ奥手だったので、誠に遺憾の極みなことにそういった傾向には疎かったが、なぜか彼らとウマが合った。
自分にはないものを求める、一種の憧れなのかと思っていたけれど、最近違う見方をするようになった。
複数の女性からの承認が必要なのも、かつての私のようにワーカホリックで仕事の上に承認を求めるのも、同じサイコロの違った側面のような気がする。
異性、仕事、アルコール、ショッピング、ギャンブル・・・同じサイコロのいろんな出目。
もちろん、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ただのものの見方の一つ。
出目自体が善い・悪いの判断をする必要もない。
そんな私も彼らも愛すべき存在。
愛すべきサイコロ。
2017.5.11
456ならシゴロで倍付けだし、123ならヒフミで逆に倍払い。1がそろえばピンゾロで3倍付け。ローカルルールによっては5倍付けのところもありますね。
・・・あ、いえ、チンチロリンのお話ですね。昔よく負けました。
私、博打の才能はあまり有りませんでしたね。
いろんな出目があるから、多彩なゲームが楽しめる。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。