昨日の記事に関連したお話で、「手放し」についてです。
「天命追求型」の叶え方で大切なのが、目標を「天」に委ねる、という点。
言い換えれば、こうなりたいという欲やコントロールを放り投げる、あきらめる、委ねる、降参する、任せる、ということ。
心の世界を覗くとよく出てくる「手放し」ということですね。けれどなかなか実践が難しいのも、この「手放し」です。
今日はその「手放し」について考えてみます。
ごちゃごちゃくに散らかっている部屋を片付けようとしたら、モノを減らすのが綺麗にする一番の近道です。断捨離なんて、もう市民権を得た言の葉ですしね。
心の中も同じで、何かに行き詰ったら「手放す」ことが事態を好転させるカギになることがあります。
たとえばこんなときって、何かを握り締めてるときですよね。
- 子どもの成績が心配で仕方ない
- フラれた彼女を忘れられない
- 不合格だった第一志望の学校を見て歯噛みする
- ケンカして音信不通になった友人のことを考えちゃう
- 浮気した旦那と何とかヨリを戻そうとしちゃう
- あるいはお金のことが頭を離れない
・・・などなど、だいたいこういうときって、何かうまくいかないことを相手のせいにしちゃうし、相手に過剰に期待しちゃうし、それに応えてもらえないって相手を責めるし、翻って自分のせいにして責めるし、相手をコントロールしようとするし・・・
蟻地獄のようのになるのが人の常だと思うのです。
そこで「手放し」をした方が楽に自由になれますよ、っていうんだけど、
そんなもん簡単にすぐできるなら苦労せんわ!
手放すって言ってフラれた彼女や落ちた高校のことが忘れられるか、ボケ!
ですよね・・・
私も「手放し」にチャレンジしてきましたが、なかなか難しいわけです。ええ、ずいぶんと苦戦してきました。
「握り締めている欲を、捨てないといけない」
その当時はそんなふうに考えていましたが、それはえげつない公卿なわけです。あ、ちがった。苦行です。常人にできるわけありません。んで、できない自分を責めるという負のスパイラルに入るまでがワンセットなわけです。
ところが、心の世界で使われる「手放し」って、そうではないわけです。
「手放す」のは、子どもの成績でも、フラれた彼女でも、落ちた学校でも、ケンカした友人でも、お金でもありません。
実は「手放す」のは、それらへの「執着」なわけです。「執着」は「ルール」、あるいは価値観、尺度、ブロックと言い換えることができます。
人にとって、自分が傷付くと感じるのは、実はその「ルール」が破られたときに感じるのです。
- 子どもの成績は上位20%くらいにいないといけない
- 私は彼女のことを愛しているから、彼女もそうあるべきだ
- 私はたくさん努力したから、第一志望に受かるはずだ
- 正しいのは私で、友人の方から謝ってくるべきだ
- 結婚したら浮気なんてしてはいけない
- お金がたくさんないと幸せになれない
先に挙げた例で行き詰ったり、傷付いたりする人がいたとしたら、もしかしたら気付かないうちに自分の中にそんな「ルール」を築いているのかもしれません。
お気づきのように、そうした「ルール」がたくさんあればあるほど傷つやすくなり、生きづらくなります。
たとえばサッカーでは「相手のユニフォームを引っ張ったら反則」というルールがありますが、もしこれが「相手に触れたら反則」というルールが増えたら、ものすごーく反則がたくさんになってしまい、プレーがしづらくなることでしょう。それと似たようなイメージです。
だから、こうした「ルール」を緩めた方が楽に自由に生きられるんじゃないでしょうか、というのが「手放し」というものの本質なんだと思います。
それはそうとして、じゃあどうやったら緩めることができるのか?については、少し長くなってしまいましたので、また明日にしましょう。
こんな「手放し」についての言葉をご用意して、今日は終わりにしたいと思います。今日もありがとうございました。
人から相談を受けた。
以前の私は「周りを助けたい症候群」で、そんな相談ごとをよく引き寄せては、境界線を越えてズブズブと一緒に沈んだりしてたけど、昨日はわりとフラットに聞けた。
ただ小一時間ほど話を聞くだけ聞いて、最後に今の私に伝えられることを伝えただけで終わった。それを彼がどう受け取って、問題の解決になったのかは分からないし、不思議と気にならない。
それは仕事上の相談だったのだけれども、ふと思った。
会社を辞めても何とかなると思えるから、仕事に対して真摯になれる。
独りでいる覚悟があるから、いつも隣に誰かがいる。
出ていくお金に対して受け取るものに感謝できるから、またお金が入ってくる。
試行錯誤してトンネルに入ってジタバタもがくそのプロセスを楽しむからこそ、結果が思い通りにならなくても気にせず失敗にならない。
まあ自分がいなくても何とかやっていくのだろうと執着せず方の力を抜けるから、子どもが自立しはじめる。
このクライアントに切られても今のベストを尽くしたと思えるから、新しい依頼やクライアントが来たりする。
この人がいいのだけれど別れてもきっと大丈夫だと思えるから、対等なパートナーシップが築ける。
嫌われる怖れを越え自己表現するから、欲しかった信頼が得られる。
今この瞬間に命の灯火が消えたとしても満足だと思えたなら、その生が輝く。
感覚的には分かっていても、なかなかそこまでの対等な関係性や、「手放し」と呼ばれるその境地まで至るのは難しい。
けれど、日々日々、積み重ね。
握りしめている、の図。