昨日の「手放す」ことについてのテーマの続きです。
両手をがちがちに握りしめてると新しいものが掴めなくなりますよ、
だから思い切って「手放し」てみましょう、
そしてその両手から「手放す」のは「気になるもの(=子どもの成績、フラれた彼女、受験で落ちた学校、ケンカした友人、お金)」ではなくて、それらへの「執着」ですよ、
そして「執着」とは、言い換えると「ルール」であり自分に制限を加えるものなんです、
だから「手放し」てみましょう。
というような内容でした。
「ルール」がたくさんあればあるほど、生きづらくなるのは明白ですよね。私なんかはつくづく禁酒法という「ルール」のある社会に生まれなくてよかったと思ってるわけです、はい。
で、そこまではいいけど、その「ルール」はどうやったら気づいて緩めれるの?というお話でした。
ちょうど先日、そんな体験がありましたので、シェアしたいと思うます。
それは先日の夜、自宅への帰り道のことでした。
車で駐車場から出ようとしていた私は、前の道が渋滞していることに気がつきました。
時間帯的には7時前くらい、帰宅する車が若干多い時間帯です。
駐車場の前の分離帯のない道路は渋滞しており、さらにその道が接続している片側一車線の道路は、左車線だけ渋滞していました。
ところがその片側一車線の道路に接続するところで、先頭の車が右ハザードを出して停まっているのです。
図にするとこんな感じです。
前の片側一車線の道路の右側車線は、ピクリとも動いていないのに!
左車線はがら空きなのに!
ええ、こう思いましたね。
後ろが渋滞してんのに無理矢理右折しようとすんな、自粛しろ!
何台並んでると思ってるんだ、一旦左折で出ろ!
そのシチュエーションになったとたんに無性にイライラするわけです。
不思議なもので、別に帰りを急いでいるわけでもなく、見たいドラマがあるわけでもなく、12時までに帰らないと魔法が解けるまけでもないのに、です。
こういうときは、あきらめて音楽でもかけるなり、R-1に出るときのために顔芸の練習をしたり、待ってる時間を有効活用すればいいのですが、なかなか気分転換できずイライラがおさまりませんでした。
で、ここで立ち止まるわけです。何に私はそんなに腹を立てているのだろう、と。
「ルール」の話に戻りますと、一般的に自分の持っている「ルール」は自分では気づきません。色眼鏡をずっとかけたままだとかけていることを忘れてしまったり、波平さんが自分の頭にかけた眼鏡を探したりしますよね。
それは周りから見ればよく分かるのですが、自分で気づくのなかなか至難の業です。
ですが、その「ルール」に気づく方法があります。
そのカギとなるのが、「ネガティブな感情」です。
昨日の言の葉でも少しお話ししましたが、人は自分が傷ついたと思うとき、それは実は自分の持っている「ルール」が破られたときにそう感じるのです。その「ルール」を破ってくるのは、多くは周りの他人です。
ときに上司が、親が、友達が、パートナーが、自分の持っている「ルール」を破ってくるのですが、一般的に自分と関係が近い人ほど自分のこと「ルール」を大きく破ってくるようです。
「ルール」が破られたと感じたとき、私たちは「怒り」をはじめとしたネガティブな感情を覚えます。
つまり、言い換えればネガティブな感情を感じたときは、自分の握りしめている「ルール」を見つけるチャンスなわけです。
さて、渋滞しているのに無理やり右折しようとすらヤカラに、私の何の「ルール」が反応したのでしょう。ふと立ち止まってみました。
後ろにあれだけ車が待っているのに
あの車がいったん左に出れば、それで済むはずなのに
普通に考えれば分かるはずなのに
あの車が右折しようとするから、多くの人が待たされてる
自分の都合で他人の時間を奪ってはいけないのに、あのヤカラはオカシイ。
・・・はい、どうも私の中には「自分の都合で他人を待たせてはいけない」という強固な「ルール」があるようです。
ええ、待ち合わせやアポイントには約束の15分前には必ず着くようにしてます。仕事でも、遊びでも。お店を予約したら5分前には入るのが当たり前だと思ってます。
しかしこれが遅刻したりアポイントに遅れたりして、他人の時間を奪っては「絶対に」いけない、となるのはかなり苦しいわけです。
向かってる途中でお腹が痛くなることもあるだろうし、
電車が遅れることもあるだろうし、
絶対に遅れられないのはプレッシャーになるし、
遅刻する恐怖から積極的にアポイントを取らなくなってしまうかもしれない。
そして周りにも遅刻禁止を強く求めるようになり、一度遅刻でもしようものなら大きなショックを受けて罪悪感にまみれてしまう…
つまり「ルール」をこじらせると、生き辛くなったり息苦しくなってくるわけです。
さていつもに増して長くなりましたが、ようやく本題の「ルール」を緩めるには、というところまできました。
緩めるためには、その「ルール」を段階的に緩めていく言の葉をつぶやいてみることが効果的です。
「待ち合わせには遅れてはいけない」
→「待ち合わせに遅れない方がいい」
→「待ち合わせに遅れるときもあるさ」
というように。
これは「〜すべき」とか「〜してはいけない」という義務・禁止のルールの場合ですがら「〜は〜だ」という定義のルールの場合はこんな感じです。
「子育ては大変なものだ」
→「子育ては大変なものだとは限らない」
→「子育ては喜びを与えてくれるものだ」
言葉にしてつぶやくだけで、だいぶ「ルール」が緩んできます。そして「ルール」が緩んだ分だけ、楽になります。
私もあのヤカラからの気づきがあってから、「人を待たせることもあるさ」とつぶやいて、「ルール」を緩めるようにしています。
最後に口直しを二つだけ。
ひとつは、「ルール」自体に善し悪しがあるわけではない、ということ。
「ルール」によって恩恵も受けているわけです。先の私の例で言えば、時間に正確なのは当然相手からの信用も得やすいでしょうし、それ自体が悪いことではありません。
それを全てなくしてしまおうとするのではなく、ちょっと緩めると楽になる、というイメージがいいのかな、と思うのです。
もうひとつは、ここまでのお話の中で最も難しいのが、自ら「ルール」に気づく、というところ。ネガティブな感情がそのサインだとしても、そもそもその感情を抑圧していると、そのサインに気づくのは難しくなります。
そうしたときは、カウンセラーやコンサルタントといった第三者の目で見てもらうことで見つけることができることもありますね。
ということで、「ルール」とその緩め方についてでした。お楽しみ頂ければ幸いです。
今日もお越し頂きありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。