「怖い」と感じるものは、それに魅力を感じているものです。
その「怖い」と感じる先に、自分にとっての大切なものが眠っているからです。
そして、その「怖さ」を乗り超えるためには、ほんの小さなステップの積み重ねが有効なようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.怖れとは、魅力を感じていること
ある心理テストでは、恐怖心が強まると性的エネルギーも高まるという結果が出ています。
深層のレベルでいえば、私たちは恐怖を感じるものに同時に魅力も感じているのです。
つまり死を怖れているのなら、そしてあるレベルでは死にひかれ、パートナーに何かが起こることを怖れているのなら、あるレベルではそうなってほしいという願望ももっている証拠です。
これは心のもっとも奥深くに隠れていることのひとつであり、人がふだんこれを抑圧しているのは当然のことです。
愛や憎しみが現実をつくりだすのと同じように、怖れもまた現実をつくりだすのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.236
2.「怖い」は魅力を感じている証拠
今日のテーマは、「怖れ」でしょうか。
この不思議な感情が指し示すものについて、考えてみたいと思います。
「怖い」と感じるときは、どんなとき?
なにかを「怖い」と感じるとき、それはどんなときでしょうか。
夜道を歩いているとき。
はじめてのデート。
ウインカーなしで車線変更してくる車。
…いろいろありますよね。
ほかには、どんなことが思い浮かびますでしょうか。
私が思い浮かんだのは、「はじめてカウンセリング・モニターを募集したとき」でしょうか。
もう、心の臓がノドから飛び出そうになるくらい、バクバクして。
手のひらに、変な汗をかいて。
自分の周りの空気が、薄くなったように感じて。
それでいて、「怖いなぁ」と感じていました。
はじめて、カウンセリングをご提供したときも、同じでした。
昨年の8月でしたでしょうか。
なつかしいものです。
「怖い」と感じるのは、それに惹かれていること
さて、そんな「怖い」という感情ですが、時に人はそれを積極的に感じたくなる傾向があるのが、不思議ですよね。
わざわざ、ジェットコースターや、お化け屋敷、バンジージャンプ、あるいはホラー映画を見に行ったり。
不思議なものですよね。
「怖れ」が不快なものであるのなら、なぜそれをわざわざお金を払って、時間をかけてまで、それを感じに行ったりするのでしょうか。
ジェットコースターやバンジージャンプには、スピードや爽快感といった、別の要素があるのかもしれませんが。
感動したくて、映画を見に行く。
一体感が味わいたくて、コンサートに行く。
応援するチームが勝つ爽快感が楽しみで、スポーツ観戦に行く。
そういったものと同じように、人が「怖れ」を味わうことに価値を感じているのでしょうか。
不思議なものですよね。
けれど、相反するものに惹かれることがあるもの、人の心なのでしょう。
引用文にあるように、「生」に惹かれるほどに、その反対の極である「死」にもまた同じように惹かれている。
普通に考えると、あり得ない!と思うことですけれどね。
ただ、そういったこともあるのが、人の心なのでしょう。
だからどうだ、というわけでもなく、ここではただ、「怖いと感じるものは、自分が魅力を感じているものでもある」と知るだけでいいのでしょう。
だから、よく「怖いはGO!」という格言があったりします。
「怖いなぁ」と感じる先にこそ、自分のたいせつなものが隠れていたりするからです。
そう、私にとってのカウンセリングが、そうだったように。
「怖さ」の先にあるもの。
それは、自分らしさであったり、ライフワークというものであったり、親密感であったり、あるいは天命や使命とよばれるようなものかもしれません。
3.いきなり飛ぶよりも、スモールステップを
「怖れ」とは、大切な機能でもある
さて、そうはいっても、怖いものは怖いですよね。
私も、さんざん「怖い、怖い」といいながら、カウンセリング・モニターの募集を先延ばしにしていたりしました笑
「怖くても何でもいいから、飛べ!」
というスパルタがお好きな方は、それでもいいのですが、そうではない人もいますよね。
「怖れ」というのは、人間が慣れ親しんだ世界から外へ出るときに鳴る、原初的なアラームでもあります。
太古の昔から、人は自分の身に危険をおよぼす状況になりそうなとき、「怖れ」を感じたのでしょう。
その警報を、いきなり「オフ」にすることも、難しいものです。
というか、ある意味で「怖れ」はブレーキなわけですから、それを効かないようにするのは、アブナイ車になってしまいます。
ブレーキもあるけど、この道はアクセルを踏んでもいい。
そうやって選べるようになると、いいですよね。
「怖れ」を緩めるには、スモールステップから
さて、そんな車の例を考えると、いきなりブレーキを外して、トップギアに入れるのは、かなり事故の危険性が高まるかもしれません。
もちろん、センスのある人は、それでも走れるのかもしれませんが…
それよりも、アクセルを徐々に徐々に入れていく方が、安全に進めるのでしょう。
具体的には、いきなり「怖い」と感じることそのものを、100%やろうとしない。
それに向かって、ほんの小さな小さな一歩を、積み重ねていく。
ほんの少し、「怖い」と感じることを、やってみる。
それを重ねていくと、少しずつ、少しずつ、「怖れ」は緩んでいきます。
いきなり、100%でジャンプしなくても、いいんです。
そして、そのスモールステップを踏みだすことができたら、もう全力で自分をねぎらってあげる。
「おぉー!すごいよ!よくやったね!!」
こんなこと、できて当たり前、とかは禁物です。
もう、日本ダービーのウイニング・ランくらいの拍手で…あ、わかりづらければ、アカデミー賞の授賞式くらいのスタンディングオベーションで、自分をねぎらってあげる。
それが、次のステップを踏みだす、力になります。
「怖れ」を感じるものには、魅力を感じている。
それに近づくためには、「怖れ」を緩めること。
そのためには、ほんの小さなことでいいので、スモールステップを重ねること。
今日は、「怖れ」について、その性質と緩め方についてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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