大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「怒り」を感じたときは、深い感情をコミュニケーションするチャンス。

昨日に続いて、「怒り」についてお伝えします。

いまの状況が信頼できないとき、「怒り」を感じます。

それは過去の傷ついた経験や痛みを抑えようとするがゆえにですが、そうした深い感情をコミュニケーションするチャンスであると見ることもできます。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.すべての怒りは、信頼の欠如と過去の傷からくる

私たちの心の奥ではこんなふうに思っています。

「この状況は、過去にも似たようなことがあった。あのとき私が傷ついたのとそっくりで、今度もまた傷つくだろう」と。

そこで怒るのです。

 

現在の状況を信頼していれば、怒りたい衝動にかられても、心のなかの深い感情をただ認めてあげるだけです。

そして怖れや痛みは、癒しのほうに向かっていきます。

すると、その痛みについて相手にコミュニケーションすることができ、怒るよりもずっと大きな結果をもたらすことになります。

 

怒りによって前線では勝ったとしても、その戦争じたいは負けになります。

怒ると、その状況をいっそう強化させ、ますますそこにとらわれてしまうからです。

たとえ闘いに勝って主導権を手に入れたとしても、相手が敗者になると、その人は少しも面白味のない人間に見えてしまいます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.138

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2.不信感と「怒り」

今日のテーマは、昨日に続いて「怒り」です。

こうして何度も取り上げられるというのは、やはり「怒り」がそれだけ人の心にとって、大切なものだからなのでしょう。

昨日の記事では、「怒り」は奥底にある感情を隠すために出てくるものであり、それゆえに「怒り」を抑圧することは危険であると書きました。

今日は、また少し違った「怒り」の側面について、お伝えできればと思います。

いまが信頼できないから、「怒り」が出る

昨日の記事では、「怒り」は自分のルール(観念、思い込み、ビリーフなど)が破られたときに感じる、と書きました。

では、そのマイルールはなぜつくられたのでしょうか。

多くの場合、それは過去の傷ついた経験からつくられます。

たとえば、親しい友だちに「自分の好きな人」を話したら、それを周りに言いふらされてしまった。

それによって、からかわれたり、冷やかされたりした、という経験をしたとしたら。

その経験から、「簡単に自分の気持ちを他人に話してはいけない」というルールが、その人のなかに強固につくられるのが、想像できますでしょうか。

そのようにしてつくられたルールが、破られそうになったり、破られたりしたときに、「怒り」を感じるわけです。

そうしたルールをつくるのは、同じことで傷つかないようにする防衛反応でもあるわけですが、過去の経験から、未来を怖れているともいえます。

つまり、あまりに痛い経験があると、それと同じことになってしまうのではないか、と思うわけです。

言い換えると、「怒り」が起こるときには、「いま」起こることを信頼していない、とも言えます。

引用文にある通りですね。

「この状況は、過去にも似たようなことがあった。あのとき私が傷ついたのとそっくりで、今度もまた傷つくだろう」と。

そこで怒るのです。

「怒り」の奥底を見つめる

なぜ、それに「怒り」を感じるのか。

たいせつなのは、「怒り」ではなく、その奥底に隠した感情です。

これを見るのが怖いから、人は「怒り」を使って防衛します。

何が、怖かったのか。
何に、怯えていたのか。
何に、傷ついたのか。
どんなふうに、感じていたのか。

そうしたことと向き合うのは、本当に怖いものです。

しかし、感情はそれを無視すると、どんどん増幅していく性質があります。

「こっちを見てよ!」というように。

そして、感じるほどに、抜けていくという性質も持っています。

ほんと、寂しがり屋というか、あまのじゃくというか…感情というのは、厄介なものですね笑

「怒り」の奥底にある感情。

それを見るのは、怖いものです。

怖いからこそ、「怒り」を使ってフタをするわけですから。

しかし、その奥底にある感情とつながると、その怖さや痛みは、抜けていきます

現在の状況を信頼していれば、怒りたい衝動にかられても、心のなかの深い感情をただ認めてあげるだけです。

そして怖れや痛みは、癒しのほうに向かっていきます。

感情は感じるほどに抜け、癒しは進んでいきます。

これは、非常に難しいことではありますが、人として成熟させてくれる試みでもあります。

3.「怒り」からのコミュニケーション

「怒り」を誰かにぶつけることは、逃げである

「怒り」とは、稲妻や雷に例えられることがあります。

電撃に打たれたような、と例えられますが、瞬間的に感じるものだからです。

それをどうこうしようとするのも、本当に難しいものです。

それを、無理に抑圧しようとしなくてもいいと思います。

出てしまうものは仕方ないのですが、「怒り」を誰かにぶつけることは、ある意味で「逃げ」であるといえます。

その奥底に眠る感情を、見ることが怖いから、「怒り」という表現方法を使う。

そうはいっても、ぶつけたくなってしまうものですけどね、ほんと…

まずは、安全な形で吐き出すこと。

昨日も書いたように、書き散らかしたり、身体を動かしたり、いろんな方法がありますので、あなたに合った発散方法があるかと思います。

「怒り」を感じること自体に、違和感や罪悪感を覚えないくてもいいんです。

怒ることで、何を伝えたかったのか?

さて、そうして発散した上で、考えてみたいことがあります。

繰り返しになりますが、「怒り」の奥底にある感情です。

「怒ることで、私は何を伝えたかったのだろう?」

その問いは、「怒り」のエネルギーで外に向きがちな意識を、自分の内側へ引き戻してくれます。

そんなにも怒るほどに、大切だったこと。

自分のなかの、怖れや痛み。

それを、まずは自分が分かってあげる、理解してあげることが、非常に重要です。

そうすると、「怒り」を相手にぶつけるかわりに、その気持ちを相手に伝えることができます。

「私は、寂しかったんだ」
「前に同じようなことがあって、傷ついた」
「私は、とても怖かった」

…などなど。

そうしたコミュニケーションは、相手との関係性を深め、つながりをつくります。

すると、その痛みについて相手にコミュニケーションすることができ、怒るよりもずっと大きな結果をもたらすことになります。

もちろん、それはとても難しく聞こえるかもしれません。

けれど、「怒り」を感じたときは、そうした自分の深い感情をコミュニケーションをするチャンスだと考えるみては、いかがでしょうか。

 

「怒り」について、昨日とはまた違った側面から、お話ししてみました。

「怒り」は非常に大切な感情ですから、うまく付き合っていきたいものです。

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