花鳥風月に心寄せ、
美しいものを美しいと感じ、
そして嬉しいことを嬉しいと言い、
楽しいことを楽しいと表現し、
ときに悲しいときは悲しさを抱きしめ、
愛しいときに愛を伝える。
幸せって、単にそれだけなんだろう。
単に生きるってこと、そのものだ。
2018.3.28
私の住む名古屋では、今週は暖かくなり過ぎて日中は初夏のような気温になっておりまして、桜の花はもう風に散り葉桜の装いに変わりました。
昔から葉桜は、季節の始まりと終わりが交わる場所のように思えて好きなのですが、今年も桜はその満開の花を楽しませてくれました。
葉桜にせよ、満開の桜にせよ、それらを眺めていると、ただそれだけで満たされてきます。
美しいものに心を動かすこと。
嬉しいことや楽しいことに心躍らすこと。
悲しいときにその心に寄り添うこと。
愛しいときにそれを伝えること。
・・・すなわち、感情を味わい尽くすということ。
桜の花は、それこそが人の幸せだと教えてくれているようです。
心地よい感情も、烈火のような感情も、天にも登るような感情も、はたまたタールのようなべっとりと黒い感情も・・・
全てが生きているからこその大切なギフトのように思うのです。
そして、それを感じることは、それだけで幸せなことだと思うのです。
何かが「ある」から幸せで、
何かが「ない」から不仕合せだったり、
何かが「得られた」から幸せで、
何かが「得られなかった」から不仕合せだったり、
何かが「与えられた」から幸せで、
何かが「与えられなかった」から不仕合せだったり、
何かに「優れている」から幸せで、
何かに「劣っている」から不仕合せだったり、
するわけではないと思うのです。
「考える人」や「地獄門」で有名な、かのオーギュスト・ロダンも語っています。
重要なのは
感動させられることであり
愛することであり
希望することであり
戦慄することであり生きることなのである
芸術家であることの以前に
人間であることだFrançois-Auguste-René Rodin(1840~1917年)
ロダンは彼の職業の「芸術家」という言葉を入れましたが、「主婦」「作家」「課長」「生徒」「母親」「ブロガー」・・・自分が抱えている色んな肩書きに入れ替えてみるのも、また一興かもしれません。
今日はまとまりのない言の葉になってしまいましたが、お付き合い頂きましてありがとうございます。
桜がもう散った地域の方も、これから楽しめる方も、
どうぞごゆっくりお過ごしください。