週末の雨と風は、花散らしの雨だった。
淡いピンクよりも、新芽の緑色の方が多くなった桜の木を見て、そう思う。
それでも、こうした低気圧が通り過ぎると、空気の肌触りが変わるようだ。
どこかぼんやりと、輪郭の不明瞭だった空の色は、美しく澄んだ色をしていた。
時に、清明。
天地万物が清らかで、生き生きとして明るく輝く時候。
花は笑い、蝶が語り、鳥が歌い。
世界を祝福するかのような、澄んだ空が広がる。
いつも、彼らは語りかける。
何かをするよりも、ただそこに在ることが、深い癒しになる、と。
=
一年前の、清明。
その清らかな世界とはうらはらに、重苦しい空気が包んでいた。
先の見えない疫病禍に、刻々と変化していく世情に、ささくれ立つひとのこころの機微に、疲れていた。
移動は制限され。
外出は自粛を求められ。
人と会うことは難しくなった。
にっこりと口角を上げて微笑む、誰かの表情を見ることもできなくなった。
当たり前だと思われていたことは、タブーになった。
それでも、葉桜は咲いていた。
そこにあるはずのものが、なくなった清明。
それでも、葉桜はまだ咲いていた。
いつもと変わらず、ただ、そこに在った。
せめて、2020年の晴明を、忘れないでいようと思った。
そんなことを、覚えている。
=
それでも、時は流れ、清明は過ぎ去り、また清明がやってきた。
忘れないでいようと思った2020年の清明を、覚えている。
今年もまた、桜は散り際のようだ。
毎年、開花が早くなるようで、せめて入学式までは咲いていてあげてほしいな、と思ってしまう。
桜でなくても、新しい生活を始める人に微笑みかける花は、たくさんあるとは思うのだが。
それでも、もうしばらく、咲いていてほしいな、と思う。
今年もまた、清明が訪れる。
そして、過ぎ去っていくのだろう。
されど、清明。