大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「それでも・・・」という感覚の先には、きっと大切なものが詰まっている

いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。

今日は昨日に続いて、「信頼」についてもう少し綴ってみたいと思います。

 

昨日は「信頼」と「期待」の違いについて綴らせて頂きました。

相手の出方によって「裏切られた」と思うのは、実は相手を「信頼」していたのではなく、「期待」を寄せていたのかもしれない。

そして「期待」とは「こうあるべき」「こうするはずだ」という相手に対する「要求」であり、実はそれは自分の心の奥底の「不足感」や「欠乏感」といった満ち足りていない想いからくる、ということですね。

最後にマリオとクリボーの小噺で、「期待」ではない「信頼」について描かせて頂きました。

マリオにとって、ほんとうの意味で「信頼」するとは「クリボーがいつの日にか改心して、マリオのもとに戻ってくることを信じて耐え抜く」こと、ではありません。

それは、「これだけ辛い思いをして耐えたのだから、クリボーは戻って来てくれるはず」という、ある種の「犠牲」や「我慢」をもとにした「期待」であり「コントロール」になります。

最終的にマリオがした「信頼」は、そういった「期待」ではありませんでした。

裏切りに見える相手の行為をも、共感し、理解し、ともに涙を流し、許し、手放すという、むしろ積極的で前向きな冒険でした。

傍から見ると、信じられないかもしれません。
あいつは頭がおかしい、と思われるかもしれません。

そんなことしても、報われないよ、と思われるかもしれません。

それでも相手に「信頼」を送ることができるのは、なぜでしょうか。

もしかしたら、マリオもクリボーの裏切りに見える行為に対して、怒りや諦め、悲しみや憎しみが湧きあがったこともあったかと思います。

「あの栗野郎、裏切りやがって!」
「メタメタに踏んづけてやる」
「無敵のスターマリオになって、蹴散らしてやろうか・・・」
「ファイヤーマリオで火あぶりの刑に処す!」

そんな想いを抱いたこともあったかもしれません。

誰でも、「信頼」していた相手から「裏切り」に見える行為をされたら、きっとそうなるでしょう。

そうしたときに、その感情を感じ尽すことも大切なのですが、どこかで

それでも・・・

という感覚や違和感があれば、それを大事にすることが「信頼」への第一歩かもしれません。

それでも。
それでも、何かひっかかる
それでも、クリボーを見捨てられない
それでも、クリボーと笑い合った日々が思い出される

人は葛藤します。

信じてもいいのか、それとも。

それでも。

「それでも」の先には、きっとたくさんの大切なものが詰まっています。

もしも名付けるとしたら、それは愛とでも呼ぶべきものなのでしょう。

もしもお客さまが「信頼」について考えることがありましたら、「それでも」という感覚を思い出して頂けると、少し楽になるのかもしれません。

 

今日もお越し頂き、ありがとうございました。

よく晴れた暑いくらいの陽気の週末になりましたね。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

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