大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「愛は時をとめる」 ~5層の心のミルフィーユ

今日は日課で写経しているチャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」の一節から。

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第242日目、「愛は時をとめる」に寄せて。

「愛は時をとめる」

 愛によって時がとまり、永遠がはじまります。永遠は純粋な創造性の感覚を生みだし、そこからよろこびが豊かにあふれてきます。人生に愛があるほど、どこか別の場所へ旅をする必要がなくなります。愛は「いま・ここ」にあるのですから、どこかほかの地へいくために頑張らなくてもよいのです。

 愛は私たちに語ります。愛は目的地にたどりつくための手段ではありません。愛はそれじたい、つねに目的地であり、手段なのです。十分な力に満ちて愛することができたとき、時はとまり、真の時間というものの感覚がつかめるはずです。それは愛について学び、自分自身を癒すことなのです。

 時間がとまるところ、そこは何年分もの辛苦と痛みから救われるところです。

 「傷つくならば、それは「愛」ではない」p.310

「愛」というと、パートナーとの間の愛情がよく想像されます。

もちろん愛する人と心通わせ、そして身体を触れ合う時間は、「永遠を感じる」とい表現が分かりやすいのかもしれません。

しかし、スペザーノ博士がここで述べている「愛」とは、その形の「愛」だけにとどまりません。

親子愛、大切な友人への愛、自己愛、花鳥風月を愛でる心・・・人間の根源的な部分を構成するのは、「愛」だと述べているように思います。

素敵な映画などを観て、心動かされて涙を流す経験は、誰にでもあると思います。

登場人物たちが織り成す物語が、心の奥底の琴線に触れることで、何か温かい部分から涙が流れる経験。

おそらく、その時間が「愛は時をとめる」と呼ばれるもののように思えます。

人の心は5つの層があるといわれます。

一層目、「いい人の私」の層。

他人に嫌われないように、迷惑をかけないように、笑顔で振る舞う私。

初対面の人に接するときのイメージですが、人から嫌われないように「いい人を演じる私」の層。

当然、演じているわけですから、ずっと舞台に上がっているようで疲れます。

二層目、「悪い人の私」の層。

悪くてダメな私を出すと、周りに嫌われてしまうから、封印しないといけない私。
決して外に出してはいけない私。

ズボラだったり、無愛想だったり、口が悪かったり・・・

一層目の「いい人」を演じている層の下には、必ずそんな「私」が隠れています。

三層目、「判断・ジャッジをする私」の層。

一層目と二層目を「いい・悪い」と判断している私が、その奥にはいます。

時間にルーズなのはいけない。
人前で怒ってはいけない。笑顔でないといけない。
人に弱音を吐いたりしてはいけない。
他人に助けを求めてはいけない。
わがままを言って周りを困らせてはいけない。

何らかの判断基準を持った私の層で、私の行動を一層目と二層目に分けて、ダメ出しをする層。

その判断基準は、観念、ビリーフ、思い込み・・・などと表現されることもあるが、その基準は十人十色、人それぞれです。

それでは、その判断基準はどこから持ってきたものなのでしょうか?

それを問いかけていくと、四層目に辿り着きます。

四層目、「傷ついた私」の層。

その判断基準のもとになるのは、過去に受けたココロの傷。 

お父さんが時間に厳しく、いつも叱られてきた。
いつも家でお母さんが怒っていて、悲しかった。笑っていてほしかった。
信頼していた恋人に弱音を吐露したら、受け止めてもらえなかった。
思い切って友人に助けを求めたが、助けてくれなかった。
親に欲しいものを伝えたが、わがままだと怒られて与えてもらえなかった。

多くの人にとって、この四層目の層を見つめるのは、えげつなく怖いのです。

ぱっくり開いた傷口を広げて、塩を塗り込まれるような感覚なのかもしれないですね。

それを感じるのが怖くて怖くて、封印してきたのですから。

けれども、勇気を持ってその怖れや悲しみ、痛みを感じ尽すと、最も深い五層目に辿り着きます。

五層目、「愛があふれる」層。

そこではすべてが許されるし、すべてが愛だったのかもしれないと振り返ることができます。

今日のテーマの、「愛は時をとめる」ということも、この層にいるときの状態を指しているように思えます。

時間がとまるところ、そこは何年分もの辛苦と痛みから救われるところです。

この層に触れるとスペザーノ博士の言っている通り、何年も痛みで苦しいでいたことを、「愛」から眺め直すことができるようになります。

お父さんが私を叱ってきたのは、愛情の裏返しかもしれない。
お母さんもきっと深く傷ついていた。きっと私の前では笑っていたかっただろうに。
あのとき恋人の方が弱音を吐きたい心境だったのかもしれない。
もしかしたら、友人は別の形で手を差し伸べてくれていたのかもしれない。
子どもが望むものを与えられない親も、葛藤して苦しんでいただろう。

優れた映画などのストーリーの多くは、こうした心の五つの層に触れていくようなストーリーになっています。

そしてこの層に触れると、一層目から四層目までの「いい人」から「痛み」の層まで、全てが癒されていきます。

映画や小説、音楽などに感動して涙して「時が止まって」いるとき、そんな風に心の中の五つのミルフィーユのような層が癒されています。

まさにスペザーノ博士のおっしゃる通り、「愛は時を止める」のです。

やはり、この本はいいですね。

また折を見て、ご紹介していきたいと思います。

今日もお越しいただきまして、ありがとうございました。

どうぞ、今日も佳き日をお過ごしください。