何かについて悩むことができることは、才能だ。
何とか解決したくて、それでもどうしたらいいか分からなくて、何度も同じ思考の迷路に嵌り、寝食を忘れるほどに悩むこと。
それは、その人の才能なのだ。
至極当たり前の話なのだが、自分にとってどうでもいいことに、人は時間をかけて悩まない。
悩むことは、心の弱さではない。
それは、その人の才能のありかを示してくれる心のコンパスだ。
仕事、お金、愛、コンプレックス、家族・・・
興味も才能もなければ、悩むこともない。
新しく買った服に合わせるコスメに悩む人もいれば、
好きなサッカーチームの成績の低迷に悩む人もいれば、
何ともならないお金の事情に悩む人もいれば、
家族との不仲に悩む人もいる。
それらは全て才能だ。
世界を美しくする才能、応援という無償の愛を贈る才能、お金と仲良くなる才能、そしてホームメイカーという才能。
心のコンパスはとても正確で、いつも私たちの才能のど真ん中を指し示してくれる。
このことを前提とするなら、
深い絶望の裏は、偉大なる才能だ。
突然起こる問題やトラブル、あるいは事故や別離。
どうしようもなく絶望して、身が引きちぎられるような想いをしたり、身体に変調をきたすまで悩んだり・・・
自らのオセロの盤面の全てが真っ黒な石に埋め尽くされたように感じて、絶望を抱えて迎える夜もある。
その黒い石の一枚一枚の裏は、偉大なる才能が刻まれて光る白い面が隠れている。
それは、必ず裏返すことができる。
時間のかかるプロセスを歩むこともあるが、それは必ず、裏返る。
もうすでに真っ黒な駒に埋め尽くされているように見えたとしても、実はもう一周外側にマス目があったりするのだ。
それに気づいた瞬間、黒い石は音を立てて裏返る。
「こんなことが人生で起こるなんて、ありえない」が、
「あんなことが起こってくれて、本当によかった」になっていたり。
「こんなことが起こって、俺の人生はもう終わった」が、いつのまにか
「あんなことが起こって、ようやく俺の人生が始まった」と言えたり。
「もう人なんて信じないと自暴自棄になった」かもしれないけれど、
「初めて人の温かさと優しさを知ることができた」と言えたり。
「どうせ、こんな私だから愛されない」から
「どうせ、どんな私でも愛される」に変わったり。
「もう二度と会えない別離に絶望した」時間が、
「だからこそいま目の前の人を大切にできる」ようになったり。
チャップリンの言葉の通り、人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇なのだ。
喜劇とは人を喜ばせ、愛を与えることのできる才能と言い換えてもいい。
そして、絶望の黒い石が、才能の白い石に裏返った時、人は未来へのヴィジョンを見る。
どうしようもないクスブリや押しつぶされそうな絶望の時間は、本当の人生の物語を始めるためのきっかけにすぎない。
時に悲しみや辛さや、ショックや絶望に打ちひしがれようとも、絶望は才能に裏返すことができる。
たとえ長い絶望の時間を経ようとも、心は死なず。
ずっと自分の才能を指し示し続けている。
私の心も、
そしてもちろん、あなたの心も。