大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「怖れ」の心理 ~心の防衛本能と、その対極にある「愛」について

「怖れ」とは、過去の傷ついた経験から、未来を予測する心の防衛本能です。

それはまた、自分自身の内面にある攻撃性を、周りに映し出したものでもあります。

そんな「怖れ」の心理について、お伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.怖れは、心のなかの攻撃やうらみ、不平不満から生まれる

ほとんどの人は、「怖れは自分の外側からやってくる」と考えています。

けれども、実際は心は投影によってはたらいています。

何かが起こったとき、私たちの目にはそれが自分の外側の世界で起こっているように見えても、じつは自分が内側で思っていることの投影なのです。

つまり自分の内側に攻撃心がもえていると、世界が攻撃してくるように見えます。

そして世界はおそろしい場所に見え、怖れおののきます。

でも本当はその怖れは、あらかじめ自分の心のなかにあったものなのです。

 

怖れの反対にあるものは愛です。

まわりの状況や人々に、自然と手をさしのべ、つながろうとする愛は、癒しを生みだします。

あなたが祝福を与えるだけ、あなたも祝福を受けとり、攻撃心や怖れが癒されていくのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.291

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2.「怖れ」の心理

今日のテーマは、「怖れ」でしょうか。

多くの問題の原因となる、「怖れ」の心理を見ていきたいと思います。

「怖れ」とは予測である

「怖れ」とは、心の防衛本能のようなものであるといえます。

それは、過去の傷ついた経験、辛かった経験がもとになって、未来を「怖ろしいもの」と予測する心のはたらきです。

そうした「怖れ」を持つことで、事前に察知して危険を避けることができることもあるのでしょう。

空から「ゴロゴロ」という音が聞こえたら、急いで身を隠す、というように。

先ほど「防衛本能」と書きましたが、それは私たちのごく自然な心の反応であるといえます。

そして、防衛にもなりますが、同時に不都合な部分もあります。

多くの場合、「怖れ」は私たちの身体をこわばらせ、フリーズさせます。

「怖れ」があると、身動きが取れなくなるわけですね。

これが、私たちが前に進む上で、「足かせ」になったりもします。

「怖れ」とは予測であるため、実際に起きているわけではありません。

そして、過去にそういったことがあったからといって、必ず未来にそれが起こるとは限りません。

「羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)」の諺ではないですが、必要以上に心配をしたり、怖れすぎたりすることは、私たちの生の幅を狭めます。

自分の攻撃性を投影するから、怖れを感じる

今日の引用文では、「投影」という視点から、「怖れ」を見ています。

私たちは、自分の心のフィルターを通じて、世界を見ています。

同じできごとを見ても、それを見る人によって全く違う解釈になることは、日常茶飯事です。

自分の内面が満たされていると、夕陽を見て「今日も充実した一日が終わった」と感じます。

自分の中に寂しさが渦巻いていると、同じ夕陽を見ても「なんて寂しい色なんだろう」と感じたりもします。

それは、風景についてもそうですが、自分とかかわる人についても、同じなのでしょう。

自分の内面に恨みつらみといった、ある種の攻撃性を抱いていたとすると、私たちはそれを外の世界に映し出します。

そうすると、どうなるか。

周りの人も、同じようにその攻撃性を持っていると感じるわけです。

それにより、自分が攻撃されるかもしれない、と感じてしまう。

だから、自分の周りの人を怖れるようになるわけです。

本人としては、怖がっているわけです。

しかし、その「怖れ」がどこからきたのかを見ると、実は自分自身の内面にあった不平不満や攻撃性にすぎません。

自分の中に攻撃性があることによって、周りから攻撃されそうな「怖れ」を感じる

これもまた、「怖れ」についての一つの見方のようです。

3.愛か、怖れか

人の行動原理には「愛」か「怖れ」かしかない

さて、そうした「怖れ」。

その対極にあるのが「愛」であるといわれます。

転じて、すべての人間の行動原理は、「愛」か「怖れ」かしかない、ともされます。

「怖れ」とは、過去の経験に基づいた視点で、未来への扉を閉ざすこと。

「愛」とは、その反対に、未来の可能性と価値を見続けること。

そのように見ることができるのでしょう。

「怖れ」からの行動は、自分と周りの人々を分離、分断し、へだたりや断絶を生みます。

それは引きこもりや孤独、孤立といった状況を、引き起こしたりします。

反対に、「愛」からの行動は、つながりや祝福、癒しを生みだします。

「愛か、怖れか」という問いかけ

もしも、自分の行動や、自分のしようとしていることに、迷いがあったとしたら。

それは、「愛」か「怖れ」の、どちらなのか。

その問いかけは、とても有意義な問いのように思います。

そしてもし、「怖れ」を感じているとしたら。

まずは、自分自身の防衛本能が働いているんだ、と「怖れ」を感じることを否定しないでいてあげてください。

そして、その上で。

つながりを切ろうとするのではなく、引きこもろうとするのではなく。

ただただ、相手のことを想い、つながろうとしてみてください。

つながりとは、物理的なものだけではありません。

その相手を想い、想像し、気遣い、祝福すること。

それだけでも、つながりは生まれるものです。

そしてそれは、めぐりめぐって自分自身にも還ってきます。

そうすると、自分のなかにある攻撃性や「怖れ」といったものが、癒されていくのです。

愛か、怖れか

心が迷ったときに、持っておきたい問いかけの一つです。

今日は「怖れ」の心理について、少し掘り下げてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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