とうに10月の声を聞いて久しいのに、まるで夏に逆戻りしたかのような日だった。
日本海に抜けた台風の影響なのか、真夏日に迫るような気温だった。
何より、陽射しが力強い。
青い雲と白い空、そして刺すような太陽の眼差しに、季節を逆巻きにしたような錯覚を覚える。
つい先週まで朝晩の気温が「涼しい」から「肌寒い」に変わってきたのだが。
その「肌寒い」気温が堪えたのか、7月にやってきたノコギリクワガタのメスが息絶えていた。
先日オスを埋葬した横に埋めてあげたいと言う息子に袖を引かれ、近所の公園にスコップを持って来たのだが、真夏に逆戻りしたような久しぶりの陽射しに立ちくらみを覚える。
先日オスを埋葬した木のふもとは、もう周りと全く違和感なく同化していた。
「お参りしようよ」という息子に引かれて、あの大きかったノコギリクワガタのオスが眠る木の根もとで一緒に手を合わせる。
同じ木の根元の周りでオスの隣に少し穴を掘り、硬くなったメスの亡骸を埋め、土をかけた。
食べ差しの昆虫ゼリーと、よく登っていた木の枝を墓標がわりにして、また手を合わせた。
そういえば、人は、何かを願うときも、死を想うときも、同じように手を合わせる。
祈り、というのは人に備わった原初的な反応なのだろうか。
それはもしかしたら、太古の昔に狩猟に出た者たちの無事を祈ったことからきているのかもしれない。
またお参りに来ようね、という息子に、
ああ、また手を合わせに来よう、と私は答えた。
それにしても日差しは強く、何もしていなくても汗が吹き出てくる。
近くの自販機へお茶を買いに行きがてら、息子を乗せて自転車を走らせた。
水分補給をしてから、近所の大きな公園に自転車を走らせる。
透き通った泉の水面のような空を眺めながら、やはりこの色は夏空だと思った。
青、緑、青、白、青。
季節が逆行しようとも、世界は今日も美しかった。
早く出発しろと抗議する息子に急かされ、感傷に浸る暇もなく私はペダルを漕いだ。
そういえば明日は「寒露」の節気だった。
草や葉に冷たい露が降り、作物の収穫が最盛期を迎える節気。
明日は、少し気温が下がるのだろうか。
そんなことを思いながら自転車を走らせると、オレンジの花が目に留まった。
恥ずかしい話なのだが、私は昨年までこの花が金木犀であることを知らなかった。
この花の見た目と、キンモクセイという名と、あの香りが一致していなかったのだ。
それが花の名を少しずつ知るにしたがって、その三者がようやく一致した。
あの香りを嗅ぎながら、私は夏空と陽射しの下で秋を眺めていた。
また写真撮ってる!と再度抗議する息子に、私はまたペダルを踏む足に力を入れた。
ときに逆行しながらも、今日も季節は進んでいく。