気づけば、もう明日が冬至。
冬の寒さはまだまだこれからが本番だが、
明日を境に昼間の長さは少しずつ少しずつ伸びていく。
一年で最も昼間が短い日が、一年で最も寒い日にならなくて、
一年で最も昼間が長い日が、一年で最も暑い日にならないのは、
ほんとうに象徴的だ。
ものごとは、内面から変わっていく。
それこそ、
雪解けの水のひとしずくが積み重なって、
花開き蝶が歌う春が訪れるように、少しずつ、少しずつ。
それこそ、
大きな大きな豪華客船の舵をほんの少しだけ切ると、
時間が経つごとにその航路に開きが出るように、
少しずつ、少しずつ。
大切なのは、自分の心の中に備わったコンパスが指し示す方角がどちらか、いつも見つめ続けること。
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北方謙三さんの歴史小説が好きなのだが、その中で好きな表現がある。
「秋」と書いて「とき」と読む、表現。
誰にでも、「秋(とき)」がある。
麦秋とよばれる、実りの秋。
先日、ある方とお話ししていた際に、秋の次に冬が訪れるのは、象徴的だというお話しになった。
実りの「秋(とき)」が訪れたら、凍てつくような冬の寒さがやってくる。
そして生きとし生けるものがその生を謳歌する春が訪れ、燃え盛る炎のような太陽の見える夏がやってきて、やがて「秋(とき)」に戻っていく。
けれど、冬のほんとうの寒さの前に、 冬至はやってきていて、少しずつ少しずつ、日の長さは伸びていく。
ごくごく当たり前のことなのだが、よくよく考えると、季節のめぐりは驚きと示唆に満ちている。
その移ろいを見つめながら、
心の中にあるコンパスを見つめ続けよう。