大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

冬至を前に、季節のめぐりを想うこと

気づけば、もう明日が冬至。

冬の寒さはまだまだこれからが本番だが、
明日を境に昼間の長さは少しずつ少しずつ伸びていく。

一年で最も昼間が短い日が、一年で最も寒い日にならなくて、
一年で最も昼間が長い日が、一年で最も暑い日にならないのは、
ほんとうに象徴的だ。

ものごとは、内面から変わっていく。

それこそ、

雪解けの水のひとしずくが積み重なって、
花開き蝶が歌う春が訪れるように、少しずつ、少しずつ。

それこそ、

大きな大きな豪華客船の舵をほんの少しだけ切ると、
時間が経つごとにその航路に開きが出るように、
少しずつ、少しずつ。

大切なのは、自分の心の中に備わったコンパスが指し示す方角がどちらか、いつも見つめ続けること。

北方謙三さんの歴史小説が好きなのだが、その中で好きな表現がある。

「秋」と書いて「とき」と読む、表現。
誰にでも、「秋(とき)」がある。

麦秋とよばれる、実りの秋。

先日、ある方とお話ししていた際に、秋の次に冬が訪れるのは、象徴的だというお話しになった。

実りの「秋(とき)」が訪れたら、凍てつくような冬の寒さがやってくる。

そして生きとし生けるものがその生を謳歌する春が訪れ、燃え盛る炎のような太陽の見える夏がやってきて、やがて「秋(とき)」に戻っていく。

けれど、冬のほんとうの寒さの前に、 冬至はやってきていて、少しずつ少しずつ、日の長さは伸びていく。

ごくごく当たり前のことなのだが、よくよく考えると、季節のめぐりは驚きと示唆に満ちている。

その移ろいを見つめながら、

心の中にあるコンパスを見つめ続けよう。

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