今日は、春分の日。
太陽が真東から昇って、真西に沈む日。
冬至から少しずつ長くなってきた陽の長さは、ようやく半分まできたようです。
世界を「陰陽」に分けてとらえようとする陰陽論においては、この春分を境に「陽中の陽」の区分けに入ると聞きます。
冬至からこの春分までは、「陰中の陽」でした。
陰のなかにあって、陽に向かっていく状態。
そこから、ベースが陰が陽に切り替わり、さらに陽に向かっていく時候になりました。
陽のなかでも、陽に向かっていく時候。
気温もどんどん上がっていき、生命力に満ちあふれていく時期ですね。
とはいえ、この週末は少し寒さが戻ったような気温でした。
それでも、季節はめぐりゆくようです。
近所の公園を訪れると、木蓮の花が高らかに咲いていました。
もう、ほぼ満開でしょうか。
先週訪れた際は、一つだけ開こうとしていたのを覚えていますが、そこからの時間で、これだけ変化するとは。
季節のめぐり、自然の移り変わりのダイナミックさには、ほんとうに驚くばかりです。
白い翼を広げるような、その花。
花の根元に残る、緑の欠片が、冬の日に見た蕾と同じものだということを、教えてくれます。
こちらが、その1月半ばの蕾です。
こんなに小さかった蕾が、あんなにも大きく、力強い花を咲かせるとは。
季節のめぐりは、本当に毎年驚くようなことを教えてくれます。
満開の木蓮は、壮観さすらありました。
冒頭に述べた、陽中の陽。
気温が温かくなっていくというのは、やはり何か摂理に反している部分があるのでしょう。
やかんに入った水を沸騰させるように、膨大なエネルギーが動く。
秋よりも春の方が、情緒が不安定になりやすいのは、そうしたことがあるのかもしれません。
木蓮に限らず、これだけのエネルギーが、そこかしこで溢れ出ているとしたら、不安定になりやすいのも、分かる気がします。
春は、出会いと別れの季節でもあります。
そんな変化の時期は、自分の心身をいたわりすぎるくらいで、ちょうどいいのかもしれません。
ゆっくりと、その変化に目を凝らす時間を取るだけでも、自分をいたわる時間になるのでしょう。
見上げると、天にも昇らんとするような、木蓮の花たち。
あふれる生命の力を目の当たりにする、春分のころでした。