昨日の雪空とはうって変わって、抜けるような青空だった。
けれど冬将軍は居座ったままのようで、風は冷たく鼻腔を刺激する。
菩提寺まで、自宅から車で小一時間。
5時から活動していた子どもたちは、5分で眠りに落ちた。
八事の山を越えて、栄の100メーター通りを過ぎ、年末ながらまだまだ車の多い名駅で渋滞する。
見上げれば、
父の愛した赤い電車が今日も走っていた。
中村公園の大鳥居を横目に眺めながら、7年間暮らしたアパートを過ぎるて、古の昔、弘法大師が通ったという津島街道を走らせる。
名古屋から津島神社をつなぐこの街道は、古い歴史の詰まった街並みと、雑多な街並みとが並存している。
まるで、自分の半生を辿るような内省の時間。
いつもは騒ぐ子どもたちが、静かに寝息を立てて眠りこけているのは、そんな内省の時間をくれたのだろうか。
菩提寺では、まだ雪が残っていた。
不意に「息子さんかね」と声をかけられる。
振り向くと、かなりお年を召された、頬かむりをした女性の方。
ええ、そうですと答える。
女性はしばらくの間、息子と娘を見て目を細めながら、
ようきてござった、と強い方言で私を労ってくれた。
どうも話の節々から想像するに、
祖父が昔住んでいた自宅の近所の方らしい。
あんたもたいへんやったな、とかけて頂いた女性の声に、
20年近く経っても薄れない祖父の人徳を想った。
花を活ける筒の水も凍っていて、それを溶かすのに往生したが、
無事に整えることができた。
手を合わせながら、
また今年も一年が終わったと実感する。
帰り道、いつもは右折する道を、なぜか左折したくなった。
車の少ない道の先には、故郷の高校があった。
そういえば20年前、高校の合格発表を見に、ここに来たことを思い出す。
それ以来だろうか。
年末らしく、誰もいないグラウンドと校舎。
残っていた雪に騒ぐ子どもたちの声だけがこだまする。
母の愛した、高校。
かたちを与えることのできない感情に浸りながら、しばらく歩く。
車のところに戻ってきたので、ポケットから鍵を取り出すと、めずらしく鍵がキーホルダーから外れていた。
そういえば、今年の初めにお伊勢を訪れたときにも外れていた。
もっと自由になってもいいのかもしれない。
ふと上空から、旗が風にはためく乾いた音が響いた。
見上げれば、雲は抜けて水彩のような、優しい冬の青空が広がっていた。
寒気で痛くなりそうな鼻腔をすすりながら、私は過ぎ去った18年の時を想った。