金曜日に、名古屋でも桜の開花宣言のニュースを見た息子は、週末が待ちきれなかったようで、近所の川沿いの桜並木のチェックに行こう!と朝から急かされた。
週なかから冷え込んだが、気持ちのいい日曜日だった。
昨日の土曜日は、東京の局地予報では雪マークがつくくらい寒かったようだ。
おかげで開花が少し遅れたようだが、週末にあわせてくれたかのようだ。
春はいろんな花の色が目に入る。
年々、私の世界に映る花が増えているような気がする。
いままで、何を見ていたのだろうか、と驚くことが多い。
川沿いの雪柳も満開だった。
この「雪柳」という名前も、先日息子と娘と散歩をしていた際に、年配の女性の方に名前を教えて頂いた。
世界は、名前を知ると豊かになる。
青空に向けて、ピンクのエネルギーが満ち満ちているかのように感じる。
やはり、桜の木には青空がよく似合う。
枝の先を見ると、ほんとうにあと少しで開花しそうな花びらたち。
満開の桜に目は留まっても、こういう表情の桜を見ることができるのは、あまり記憶にないように感じる。
いましか見られない絶景に、嬉しく思う。
おや、こちらの枝の先では、もう・・・
おや、こちらの枝の先でも・・・
あった。
咲いていた。
陽当たりのいい場所の木の、中ほどの枝の先に。
1年ぶりに見る奇跡に、息子と一緒になって喜ぶ。
そのやさしい奇跡に、なぜか涙が頬を伝った。
年を重ねると、涙腺が緩くなったり、あるいは感情的に弱くなったりする、とよく聞くが、それは逆のように思う。
弱さを見せられる、ということは強さなのだ。
感情を感じられる、ということは進化なのだ。
涙を流すことができる、ということは祝福なのだ。
それを重ねた分だけ、世界は豊かに、そして優しくなる。