ご依頼を頂いていた案件を、昨日クライアント様に納品させて頂いた。
今回の依頼は、プロフィール文+その方の提供しておられるサービスのセールス文だった。
1時間ほどのオンラインセッションと、メールのやり取りを10往復ほどさせて頂いて、そのクライアントの方の自己紹介とセールス文を書かせて頂いた。
以前ウマフリさんに寄稿をさせて頂いた際にも感じたのだが、原稿を書き終えた解放感というのは格別で、断酒をちょっとやめて祝杯を挙げようかと思うくらいだ。
けれど、これがクライアントや依頼者の方に実際に納品する段になると、途端に心の中がざわつく。
強い、強い怖れが噴き出してきて、送信ボタンを押す手が逡巡する。
怖い。
書いているときの夢中になっている感じはどこへやら、他人からどう思われるかが気になって気になって。
ふと書いた文を読み返すと、しぼんだ風船のように褪せて見える。
これで、クライアントの方は満足いただけるのだろうか。
まして、今回は有償で受けている。
怖いし、報酬というものに対して、謎の罪悪感が噴き出てくる。
書いている最中はいいのだ。
空だって飛べる。
でも、それが現実のものとして他者に読まれる、そしてその報酬を頂くとなると、とたんに身体が重くなる。
これは何なのだろうと、ずっと考えていた。
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多くの場合、「怖れ」と「罪悪感」は自分の親との関係に密接に結びついている。
端的に言って、「怖れ」とは自分が親を越えるとき、あるいは親が知らない世界に飛び出すときに生まれる。
母親の場合は胎内からずっと一緒にいる「一番近い他人」であるため、多くの人は母親の「愛し方」「愛され方」の外側に出て自分を承認することに「怖れ」を感じる。
どのような形であれ、母親には母親なりの愛情表現の方法がある。
それは、
「愛している」と伝える、という表現もあれば、
毎日お弁当を作り続ける、という表現もあれば、
一生懸命に仕事をして経済的に困らないようにする、という表現もあれば、
ときに叱ったり怒ったりする、という表現もあるだろうし、
ときに遠くから見守る、という表現だってあるだろうし、
突き詰めてしまえば、
ネグレクトや虐待すらも、愛からの表現と見ることだってできるだろう。
私たちは、どうしたって母親の愛情表現、自分を承認してくれた方法で愛され、他人に認められようとする。
けれども、世界は実は私たちが思っているよりも広くて懐は深く、もっともっといろいろな方法で、私たちに愛を注いでくれる。
それを拾えるようになっただけ、世界は豊かで輝き出す。
それを受け取るときに、人は強烈な「怖れ」を感じる。
例えは悪いが、野良犬が簡単に与えられた餌を食べないことと似ているのかもしれない。
この餌を食べてもいいのだろうか。
でも、こんなことは今までなかったから、「怖い」。
その「怖れ」は強烈だが、その「怖れ」を越えた分だけ、愛を受け取り、豊かさを感じられるようになる。
一方で、父親の場合は社会的なシンボルとなる場合が多いため、多くの人は父親の年収を越えることに無意識的に「怖れ」を感じる。
私も、間違いなくそうだ。
お金という分かりやすい社会的なステータスで父親を越えてしまったら、父親を否定してしまうことになるかもしれない。
だから、それを越えることを潜在的に「怖れ」、無意識でブレーキをかける。
「罪悪感」もそうだ。
多くの人が、多かれ少なかれ「親の力になりたかったけれど、力及ばずに親を笑顔にできなかった」という後悔を成長の中で持つことがある。
それは思春期に親から精神的に自立するときに芽生える感情であり、それが裏返ると「自分はこうやって愛してほしかったのに、親はそうしてくれなかった!」という怒りに変わり、そしてその主張を訴えるために(意識的にせよ、無意識的にせよ)自分を不幸にする選択を重ねる。
そうすると同時に、親の理想や期待通りに生きられなかった自分を裁くことで、自分を傷つける。
自分を幸せにする選択ができないという場合、「罪悪感」が大きく心の中に横たわっており、それは親への「罪悪感」である場合が多い。
自分を傷つける選択を重ねるというのは、
見ろ!こんなに不幸なのは、お前らが育て方を間違ったせいだ!
という復讐と、
お父さんお母さんの力になれなかった私は、極悪人なんだ・・・
という贖罪の、
いずれかが作用している場合がある。
それは、いずれも「罪悪感」の見せる側面に過ぎない。
こんな不出来な息子でごめんなさい。
お父さん、ごめんなさい。
他の子みたいに、もっとかわいい子だったらよかったのに。
お母さん、ごめんなさい。
どんなに悪態をついて、親を嫌って、避けて、不倶戴天の大敵のように扱っていても、誰もが心の奥底では、そんな無力で寂しげな眼をした子どもの感情を抱えている。
それはまったくの誤解であるのだが、潜在的には、人はそんな感情を心の奥底のやわらかい部分に隠し持っている。
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とするならば、その「怖れ」を感じるとき、「罪悪感」を感じるときは、
親を越える時であり、
親を許す時であり、
親を手放す時であり、
親と対等に人生を生きる時であり、
親のすごさをあらためて理解する時であり、
親を深く愛する時であると言える。
その「怖れ」と「罪悪感」を越えたところから、ようやく自分の人生を生きることが始まる。
そこが、スタートラインなのだ。
いや、そのときに感じる「親」も、実はダミーなのかもしれない。
思えば、母親も父親も務め人だった。
その私にとって、「好きなこと」「息をするように何でもないこと」で評価されたり、お金を得ることは、世界の最果ての外側のように「怖れ」を感じる。
けれども、実は親もその仕事の中に喜びを見いだして生きていたのではないだろうか。
高校教師だった母親は、生徒の日々の成長を我がことのように喜んでいた。
司書室で好きな本を借りて、ときに事務員の方と長話に花を咲かせていた。
詠うことが好きで、市民楽団で第九を楽しそうに歌っていた。
浅田次郎さんの小説よろしく鉄道員だった父親は、自分の仕事を誇りにしていた。
正月休みもなく、元旦から初詣のために働く職員を激励に行っていた。
その人望からだろうか、年賀状は毎年山ができるくらいに届いていた。
父も母も、喜びと愛の中に生きていた。
そうなのかもしれない。
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ほんとうのところ、その「怖れ」と「罪悪感」は、親を越えるというよりは、
自分の設定した限界を突破するときに出るものであり、
1秒たりとも休むことなく、連綿と受け継がれてきた自分という命の輝きを世界に与える時に出るものであり、
さらにその豊かで揺蕩う世界を自分が受け取るときに出るものなのかもしれない。
だとするなら、「怖れ」も「罪悪感」も自分の人生の福音だと言える。
どうせ、今生を楽しむこと満々の私の魂は、絶え間なく変化していくことを望んでいるのだろうから、
どこまでも広がっていく、その愛の深さに揺蕩っていればいい。
「怖れ」があろうが、「罪悪感」があろうが、大丈夫なのだ。
もう、船は出ているのだから。