近所の川沿いの桜並木を歩く。
先週末に、今年初めて咲いた桜を見たが、もう陽当たりのいい場所では満開に近い。
前日の夜には少し強めの雨が降っていた。
この日も曇りと雨の予報で、なかなか青空をバックに撮れないのがもどかしい。
それでも、この淡いピンクの色調に、今年も出会えたことを喜ぶ。
「花見」といえば、条件反射的に「桜の花」の下を思い浮かべるように、やはり「花」といえば桜なのだろう。
健気に、木の幹から花を咲かせるものたちもいる。
こうしたものも、枝の先に咲くものも、不思議とどの花も、桜は下を向いて咲いていることに気づく。
太陽に向かって上を向くのではなく、どの花も下を向いていることが、不思議だ。
そう思っていると、上に向いて咲くものを見つけた。
めずらしく木ではなく、草むらに咲く桜。
桜の木の切り株から、生えてきた枝から咲いているようだ。
花は誇らず。
いつもと変わらず、
春がやって来る。
陽が昇る。
桜が咲く。
桜が散る。
陽が沈む。
いつもと変わらず、
春が過ぎ去っていく。
目の前のものは、移ろいゆく。
けれど、いま、この目の前にあるものは、変わらない。
それは、「いま」という刹那は、永遠あるいは不滅と同義だからだ。
桜を、花を、季節を見つめることは、それを教えてくれる。
どこにも行かなくていい。
ただ、ここでくつろいでいなさい、と。
昨晩の花散らしの雨に打たれたのか、せっかく咲いたであろう一輪の花が落ちていた。
手に取って、活けてみる。
部屋の中にも、春が訪れたようだ。