桑田佳祐さんの名曲、「祭りのあと」が好きだ。
Wiki先生に聞いたら、リリースが1994年とのことだった。
ということは私が中学生の頃の曲なのだが、なぜかこの曲は中二病真っ盛りの頃の私の心を捉えて離さなかった。
カセットテープの画像がデザインされたシングルCDを、何度も何度も聞いていたように覚えている。
それから年を重ねるたびに、この曲は味わい深くなっている。
あの桑田さんの粘り気のある歌声での「ぬゎぁさけなぁい、おぉとこで…」という歌い出しから、たまらない。
遺憾の極みながら、異性にモテるということがまるでなかった思春期の私にとって、そのフレーズと桑田さんの歌声には救われた。
私自身の鬱屈とした想いと行き場のない情熱は、ハードロックやポップスよりも、この哀愁漂うナンバーを好んだのかもしれない。
CDの歌詞カードを眺めながら聴くのが好きだった私にとって、歌詞の中の「好きだヨ」の「ヨ」はどこまでも洒脱で、男の色気を感じさせてくれた。
端的に言えば、カッコいいのである。
いつも泣かせようが、「飾らないお前に惚れたよ」と認められる強さ。
そして、それなのに、「もう 言葉にできない」という弱さ。
それが同居している。
そんな男に、私は色気を感じてしまう。
言葉の選び方、そして曲調、フレージング。
もう、天才の所業を見せつけられる。
どいつもこいつも、男って奴ぁ、おバカで、カッコつけで、意気地がなくて、どーしようもなくて…そんな「しょーもない」生き物だ。
けれど、この曲のどこかポップな曲調と、桑田さんの歌声は、どこまでもその「しょーもない」男を「だって、しょうがねーじゃんよ、そういう生き物なんだから」とでも言わんばかりに、肯定してくれるように感じるのだ。
そして、2番の歌詞が圧倒的に素晴らしい。
フラれる男はカッコいい。
けれど、それはバッターボックスに立ち、チャレンジし続けた男だけが得られる勲章である。
「それとなく」聞いているうちは、そのカッコよさは身に着かない。
嗚呼、書いていて耳が痛い話ではあるが。
桑田さんの歌声が、私にとってどこまでも優しく感じるのは、「フラれてもくじけちゃ駄目だよ」という台詞が、「フラれるまで至らない、勇気を出せない、ダッサイ男ども」に向けて語りかけてくれているように聴こえるからだ。
男の美学を、この短いセンテンスで語り尽くしているようなパート。
真実は、いつもシンプルだ。
それにしても、「イナたい」という言葉を、この歌以外で聞いたことがないのだが、繰り返し述べている「しょーもない」男を形容する語としては、最上級のような感がある。
そしてサビのフレーズの、パワーワードの数々よ。
どこまでも「しょーもない」男の美学を、切々と歌い上げてくれる。
14歳の私は、なぜか「酔いつぶれて夜更けに一人 月明かりのWindow」という、このフレーズの描く風景に感銘を受けた。
どうにもならぬ心の葛藤からグダグダに酔い潰れて、「月明かりのWindw」にはっとする経験をするのは、まだまだ先の話しなのに、なぜだろう。
「底無しの海に 沈めた愛」、「悲しみの果てに 覚えた歌」…このキラーワードの数々。
ほんとうに、男という生き物は「しょーもない」のだ。
それでも。
それだからこそ。
「花火として燃え尽きたい」と願っている。
やはり、バカなんだろう。
よく女性の方が現実的というような比較論があるが、違うのだ。
男の方が、アホすぎるだけなのだ。
私も含めた、そんな「しょーもない」男の賛歌であり、応援歌でもある、桑田さんの名曲中の名曲。
人生の季節がめぐるたびに、「しょーもない」男としては何度も聴きたくなる名曲である。