お盆を過ぎると、とたんに秋を感じるようです。
今日は、ツクツクボウシの声を聞きました。
この声を聞くと、もう夏も終わりだと感じるものです。
そして、夜風も少しだけ涼しさを含んだものになってきましたし、昨晩は秋の虫の音を聴きました。
夏という季節が好きなだけに、実に切なくなります。
夏の終わりは、寂しさとともにあるようです。
冬が終わり、春が訪れる。
凍えるような気温が、徐々に暖かさを含んだものになっていく。
それは、どこか能動的なものを感じます。
春に向かう。
これから動き出そうとする、生命の力と意志というか。
それにひきかえ、夏の終わりはどこか、受動的です。
ようやく迎えた旬や、盛り。
その熱が、自然に冷めていくような。
沸かしたお湯が、徐々にその熱を失っていくような。
それは、節理でもあり、道理でもあるのですが、意図したものでもない。
けれども、避けることもできない。
夏の終わりは、どこかそんなやるせなさと、寂しさを感じさせます。
旬の時期というのは、思いのほか、あっという間に過ぎていくようです。
だからといって、どうということもないのですが。
ただ、その過ぎゆく瞬間を愛でることしか、私たちにはできないのでしょう。
目に映る、過ぎ行く夏のかけら。
五感に訴える、秋の訪い。
寂しさとともに、そんなものを愛でていきたいと思う、夏の終わりのようです。