大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

旬の時期は、いつもあっという間に過ぎていくから。

お盆を過ぎると、とたんに秋を感じるようです。

今日は、ツクツクボウシの声を聞きました。

この声を聞くと、もう夏も終わりだと感じるものです。

そして、夜風も少しだけ涼しさを含んだものになってきましたし、昨晩は秋の虫の音を聴きました。

夏という季節が好きなだけに、実に切なくなります。

夏の終わりは、寂しさとともにあるようです。

 

冬が終わり、春が訪れる。

凍えるような気温が、徐々に暖かさを含んだものになっていく。

それは、どこか能動的なものを感じます。

春に向かう。

これから動き出そうとする、生命の力と意志というか。

 

それにひきかえ、夏の終わりはどこか、受動的です。

ようやく迎えた旬や、盛り。

その熱が、自然に冷めていくような。

沸かしたお湯が、徐々にその熱を失っていくような。

それは、節理でもあり、道理でもあるのですが、意図したものでもない。

けれども、避けることもできない。

夏の終わりは、どこかそんなやるせなさと、寂しさを感じさせます。

旬の時期というのは、思いのほか、あっという間に過ぎていくようです。

 

だからといって、どうということもないのですが。

ただ、その過ぎゆく瞬間を愛でることしか、私たちにはできないのでしょう。

目に映る、過ぎ行く夏のかけら。

五感に訴える、秋の訪い。

寂しさとともに、そんなものを愛でていきたいと思う、夏の終わりのようです。