昨日に続いて、「自己価値」について。
「何かができる」から自分には「価値がある」という観念を手放せたとき、世界はやさしくなる。
「自己価値」とは、認めるものでも、増やすものでも、高めるものでもなく。
ただ、気付くだけのもの。
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私たちが何かに対して「価値がある」というとき、具体的に何に価値を見いだしているのだろう。
あのアーティストのライブは価値があった
この型式のBMWはすごく価値がある
あの名店は遠いけれど食べに行くだけの価値がある
このピカソの絵には1億円の価値がある
あのサービスはこれからの社会においてすごく価値がある
…などなど、人によって「価値がある」と感じる対象は、それぞれだろう。
その共通点があるとしたら、何だろう。
交換可能な「お金」なのだろうか。
それとも、それをすることで得られる「経験」だろうか。
あるいは、それに対する世間の「評判」だろうか。
いやいや、何がしかの役に立つという「有用性」だろうか。
そのどれもが、正しいのだろうけれど、どれも肌感覚としてしっくりこないのは、私だけだろうか。
いったい、人が価値を感じる源泉とは、何だろうか。
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産まれたばかりの赤子は、何もできないし、養育するのにお金はかかるし、まして誰かから能力を評価されているわけでもない。
だから赤子は「価値がない」のだろうか。
そんなわけはなく、赤子はそこにいるだけで周りを笑顔にする。
だから赤子には、「価値がある」。
それは一つの真実だけれども、こと「価値」という視点からすると、少しの違和感を覚える。
「周りを笑顔にする」から「価値がある」というニュアンスが含まれているようにも聞こえるからだ。
揚げ足を取るような話かもしれないが、その逆に「周りを笑顔にできない」「周りを怒らせてしまう」「周りの雰囲気を暗くしてしまう」のが私だとしたら、私には「価値がない」のだろうか。
この手の話には、何かが「できる」から、誰かの「役に立つ」から、誰かの「評価」があるから、「自己価値」を認めることができる、という根源的な観念が見え隠れする。
この「できる」「役に立つ」「他者評価」から「自己価値」を認めることほど、辛く苦しい蟻地獄もない。
それらは、自分にはコントロールできない範疇だからだ。
私が100mを9秒で走れないように、どれだけ頑張ってもできないことはあるだろうし、
役に立つかどうかなんて、私には決められないし、
まして他者評価なんてコントロールのできない最たるものだ。
原因と結果の因果律にとらわれるほど、人は不自由になる。
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何かができるから、役に立つから、他者評価が高いから、「自己価値」を認めるのは簡単だ。
けれど、それは砂上の楼閣よろしく、簡単に崩れる。
私よりできる人が現れたり、役に立たないときが来たり、誰にも評価されない時期が訪れるのは、私にはコントロールできない。
けれど、私やあなたの「価値」というものは、何かができるとか、役に立つとか、他者評価があるとか、そんなチャチな物差しで測れるものなのだろうか。
決してそうではないように思う。
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鍵になるのは、自分の奥底にへばりついた、消せない闇だ。
ほんとうのところ、私たちが心の深淵で求めているのは、
テストで100点を取った、
明るく元気で笑顔いっぱいの、
いつもやさしくて家族や友達に囲まれている、
そんな私の「価値」ではなくて。
何もできないクズみたいに感じる、
どこまでもネガティブで根暗でちっぽけな、
家族を見捨てて友達を裏切る薄汚れて罪深い、
そんな私の「価値」なのかもしれない。
誰しもが、他人には見せられない、自分の奥底に押し込んだ闇にこそ「価値」を見てほしがっている。
どんなクズみたいな自分でも、無限の「価値」がある。
どんなネガティブな自分も、光に包まれるだけの「価値」を持っている。
どんな罪深い私も、何度でも救われる「価値」がある。
その「価値」を信じるのは、それを否定されることよりも、よっぽど怖い。
不幸よりも、幸せを受け取ることの方が、怖いものだから。
だから、「価値を信じること」を信じられるように、祈ろう。
何度も、何度でも。
その果てのない祈りの先に。
「自己価値」とは、
増えもしなければ、減りもしない、
奪われもしなければ、盗まれもしない、
高まりもしなければ、低くもならない、
時が経とうが、風が吹こうが、何も変わらない、
多いも少ないもなく、ただ完全なもの。
認めようが、認めまいが、ただそこに在るもの。
という真実に気づく。
「自己価値」とは、ただそこに在ることに、気付くだけのもの。
それに気づいていないのは、自分自身だけ。
「自己価値」とは、ただ気づくだけのもの。
どんなに分厚い雲の上にも、青空が広がっているように、あなたの「価値」は何があっても変わらない。
その雲でさえも、青空という音を彩るビブラートのようなゆらぎでしかない。
何があっても、青空がなくならないように、
あなたの「価値」もまた、なくならない。
ただ、それに気づくだけ。