周りからの愛を受けとれないとき、私たちは自分の価値を信じていません。
そんな「受けとれない」心理と、自分の価値を信じるためのヒントについてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.あなたの受けとるものは、受けとる価値があると考えているものである
あなたが何を受けとっているかを見れば、自分自身のことをどう考えているのか、そしてどんなものを受けとる価値があると考えているのかがわかります。
自分には何ひとつ受けとる価値はないという観念があれば、何も受けとらせようとはしないでしょう。
あなたにはすべてを受けとるだけの価値があるのです。
それなのに、実際どれほど自分に受けとらせているでしょうか。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.378
2.価値がないと、受けとれない病
今日のテーマは、「受けとること」でしょうか。
そして裏テーマは、「神の子」なのだと思います。
「受けとらない」は人生をベリーハードモードにする
「受けとりベタ」の私ですので、今日のテーマは非常に刺さるものがあることを、白状しておきます笑
カウンセリングでよくテーマになる「自立」の問題を癒すのに、「受けとる」ことが重要になったりします。
周りの微笑みを、世界からの愛を、受けとりましょう。
しかし、そういっても、なかなか受けとれないのが、人の心の難しさでもあります。
はい、よくわかります笑
「あなたのために、こんな素敵なプレゼントを用意したの!」
ふと目を向けると、そんな愛があふれていたりします。
しかし、差し出されたそれを、両の手を後ろにまわして、かたくなに受けとれない人がいます。
そして、わざわざそれを探して、外の世界をさまよったりする。
あるいは、ひどいときには、プレゼントが差し出されたことにすら、気づいていなかったりする。
プレゼントを用意した人からすると、「はぁ?何やってんの??私のプレゼントが気に入らないの?」という気分になったりもします。
わざわざ、人生を「ベリーハードモード」にするのが、「受けとらない」という行為なのかもしれません。
なぜ、受けとれないのか。
いろんな方向から考えることができると思いますが、今日は「自己価値」の視点から見てみたいと思います。
それは、「価値がないと受けとれない病」ともいえると思います。
「それを受けとる価値が、自分にはあるのか?」という疑問
自分の価値を、必要以上に低く見ていること。
そして、「何かを受けとるためには、それと見合った価値がないといけない」という観念。
その二つが重なると、「受けとれない」悲劇が起きます。
プレゼントを差し出した相手からすると、当然のことながら、それを受けとるだけの価値があるし、受けとってほしいから、それを差し出しているわけです。
けれども世界中のなかでただ一人、自分自身だけが、その価値を信じていない。
「自分には、そんなたいそうなものを受けとる価値はありません」
「受けとれない」裏側には、そんなふうに感じる心理があります。
なんだか、切ないですよね…
さらに、そのプレゼントと見合う価値がないと、受けとってはいけない、という観念がそれにミックスされていたりします。
なぜなら、受けとってしまったら、それ以上のものをお返ししないといけない。
でも、自分にはそんな価値のあるものを、提供することはできない。
だから、受けとれない。
…はい、書いていてどんよりしてきましたが、実際にめちゃくちゃよくある心理のように感じます。
でも、贈る側の胸のうちを考えてみると、違うんですよね。
誰かに何かを贈るとき。
それは物質的なプレゼントかもしれないですし、
あたたかい夕食かもしれませんし、
ただそこにいるということかもしれませんし、
あるいは祈りや愛情のような形のないものかもしれません。
どんな形であれ、誰かに何かを贈るとき、そこに「相手の価値」を考えたり、「お返し」を期待するでしょうか?
あ、もちろんそういう贈り物も世の中にはあるでしょうし、あっていいとは思います笑
けれども、大切な人に何かを贈ろうとするときには、別にそんなことは考えないのではないかと思うのです。
ただ、贈りたかった。
ただ、喜んでもらいたかった。
ただ、愛おしかった。
それだけではないでしょうか。
「受けとれない」ときとは、そうした相手の愛を信じられないとき、と言い換えられるかもしれません。
そして、それはとりもなおさず、自分の愛を信じていないことの裏返しでもあります。
はい、書いていてなかなかに自分の胸が痛い話ではありますが笑
3.価値とは、何かしたことに宿るわけではない
「受けとれない」心理と、その裏側にある「自己価値」の問題。
そう考えていくと、「自分の価値をどれだけ自分が認められるか?」という、いつものテーマに帰着してしまうようです。
「また、それか」と言われるかもしれませんが、また、これです笑
自分の価値を、どれだけ信じられるのか。
「受けとる」も「受けとらない」も、そこに関連してきます。
こう書くと、ではどうやったら自分の価値を認められるのでしょうか。
そう考えたときに、私たちが陥りがちなのが、自分がしたこと(してきたこと)で価値を測る方向に舵を切ることです。
これだけ頑張ったのだから。
多くの人に認められたのだから。
結果としての数字が出たから
好きな人から、愛していると言われたから。
…はい、なんだかねばついた、イヤな感じがしますよね。
それは、評価を他人に委ねるというラットレースへ至る道です。
自分の価値を認めるとは、自分が何をしたか、それを他人がどう評価したかに依るものではありません。
それは、成果とか結果とは無関係なものです。
もっと言うなれば、プロセスや過程とも無関係です。
究極的な自己価値とは。
あなたがあなたでいること。
ただそのことだけが、その価値を担保します。
言ってしまえば、生まれてきたこと、そのことだけで、もう十分。
そう思えることです。
あなたが、そこにいること。
何もしなくても、何かを持たなくても。
ただ、あなたはあなたであるだけで、愛される価値があり、また多くの人に与える力があります。
便宜上、私はここでそれを書いていますが、私がそれを書こうが書くまいが、どちらでもいいんです。
それは、ただそこにあるのですから。
花が誇らず、ただそこに咲くように。
ただ、あなたがそこにいること。
そのことに、世界は微笑み、祝福しています。
それをここで、そしてカウンセリングで、私はお伝えしていきたいと思っています。
今日は「受けとれない」心理から、自己価値についてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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