「3」という数字には、何か神性を帯びていて、人を安心させるらしい。
「1」でもなく、「2」でもなく、「3」。
キリスト教における父、子、精霊の三位一体論。
プロ野球の打率、ホームラン、打点の三冠王。
仏教における釈迦、阿弥陀、薬師の三尊。
鏡、勾玉、鏡という三つの神器。
松島、宮島、天橋立の日本三景。
皐月賞、ダービー、菊花賞のクラシック三冠。
どうも日本人に限らず、人は「3」という数字が好きらしい。
孤独な「一つ」でもなく、対立のある「二つ」でもなく、バランスの取れた「三つ」。
一次元(点)ではなく、二次元(線)でもなく、この世界と同じ三次元(面)。
この三次元の現世を生きる我々にとっては、「三つ」というのが、何事につけてもバランスがよくて収まりがいいようだ。
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ここのところ、どうも何をするにもモチベーションが上がらない。
モチベーションが上がらないことに罪悪感を覚えることはないと思い、「何もしないことをする」ことを意識していたが、それでも休んでいても充電されていないような感じがしていた。
動いたら、休む。
仕事や、何か生産的、能動的な活動をしたら、同じだけ睡眠などの休息やリラックスする時間が必要。
これは何となく分かるし、そうするように意識するようになったけれど、それではまだ白か黒かのどちらかの、「2」の世界だ。
いや、これを考えられるようになっただけ、自己犠牲とハードワークしていた時代からすると進歩したと言える。
まだ何もしないこと、休むことに罪悪感を覚えるが、それを感じながらも休むことができるようになったのは、大きな進歩だろう。
さらに、もう一歩。
ここに、「楽しむ」、という要素を入れてみる。
楽しめること、心地よいこと、自分の求めている快感を得ること。
この「動く」、「休む」、「楽しむ」という「3つ」の感覚のバランスを取ることを意識してみる。
人生の時間の、黄金の3分割。
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もちろん、バランスが崩れる時期もあるかもしれない。
けれど、どれかが増えたら、バランスを取るように意識をするだけでも違うように思う。
1日24時間とすると、それぞれ8時間ずつ。
仮に睡眠が6~7時間とすると、やはり鍵になるのは「動く」と「楽しむ」のバランスなのかもしれない。
相当、「楽しむ」ということを意識していないと、「動く」一辺倒になってしまう。
もちろん、なかなか時間的に難しい面もある。
そんなときは、やはりマインドフルであるということが、「楽しむ」ということにつながるのかもしれない。
感覚を開いて、目の前の奇跡を楽しむ時間を持つこと。
それは、自らの世界を豊かにしてくれると同時に、「動く」ことに傾倒しがちな私を、いまここに遊ばせてくれる。
マリーゴールドを楽しむ。
今日も世界は美しい。