大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ストレッチ日記 ~力を抜いたときに伸びる、では、力を抜くためには。

ストレッチをはじめて、2か月が過ぎた。

人間の習慣とは面白いもので、いったん習慣化してしまうと、やらないと気持ちが悪くなる。

朝起きて顔を洗ったり、歯を磨いたりすることも、同じようなものなのだろうか。

寝る前に、20~30分ほど、深く息を吸い、深く息を吐きながら。

自分の身体と向き合う時間は、いいものだ。

「2週間で開脚できる!」というキャッチコピーの動画を参考にしているが、一向にそのような気配はない。

それでも、少しずつ、本当に少しずつだが、柔らかくなっている部分もある。

結果を望むより、経過を楽しむ。

日々のその時間を楽しむことが、継続することにつながり、そして「その結果として」開脚なりの成果に結びつくのかもしれない。

もちろん、結果を求めて試行錯誤することもいい。

どちらが自分に合っているか、だけの話かもしれない。

とりあえずは、過程を楽しもうと思う。

さて、そんな「やわらかくなっている」と感じるとき。

それは、力を入れて可動域を広げようとしているとき、足をプルプルさせながら頑張っているとき、呼吸を止めないように意識しているとき…
では「ない」のが、面白い。

そうではなくて、「ふっ」と力を抜いたとき、「ぐい」と自然に広がるような感覚があるのだ。

不思議なのだが。

身体の硬さというのは、常に力が入っている状態なのかもしれない。

じゃあ、力を抜けばいいじゃないか、と思うのだが、そうは簡単にはいかない。

無意識に入っている力を、簡単に抜けるなら、誰も苦労はしない。

いかに、「力を抜く」ということが難しいか。

スポーツやダンスなり身体を使うことを経験したことのある人や、発表会やコンクールなどに出た経験がある人ならば、深く頷いてもらえるのではないだろうか。

達人には、力感がない。

けれど、「力を抜こう」と意識して、同じようにすることはできない。

それは、おそらく途方もない量の反復練習なり、あるいは飽きるほどの場数をこなしてきたからこそ、成せる業なのだろう。

少し、ストレッチから話が逸れた。

けれど、ストレッチも同じかもしれない。

やわらかくなるためには、力を抜かないといけない。

けれど、それはひいひい言いながら、力がごりごりに入りながら、少しずつ少しずつ積み重ねていった先にあるものかもしれない。

そして、その力を抜いたときに、「伸びる」のは、なんでも同じなのだろう。

結局のところ、「かんたんに」「すぐに」「誰にでも」「お手軽に」できる魔法の杖など、存在しないのだ。

あるとするなら、日々の地道な積み重ねという、至極当たり前のことなのかもしれない。